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更新日:2016年3月30日

文豪の風景in港区03 永井荷風

明治12(1879)年、小石川(現・文京区)で生まれた荷風は、父親が文部大臣官房秘書官、叔父が福井県知事などを歴任した裕福な家庭に育ちます。しかし、親の期待に背き落語家に弟子入りするなど、学生時代から芸能や小説に自らの世界を見いだしていきます。
荷風が終生愛したのは、江戸文化や東京の古い街並みでした。港区に関しては、慶應義塾大学文学部の教授時代に親しんだ新橋花柳界を題材に、「新橋夜話」(しんきょうやわ)や「腕<らべ」などの作品を発表しています。また、小説「冷笑」の中では登場人物に。「巴里の有名なる建築物に対した時の心持に思ひ比べて、芝の霊廟はそれに優るとも決して劣らぬ感激を与えて<れた」と増上寺を語らせました。
二度の離婚を経て、麻布市兵衛町(現・六本木1丁目)に引っ越してきたのは大正9(1920)年のこと。当時はまだ深い緑に囲まれた場所で、隠れ里のような趣だったといわれています。ペンキで塗られていた二階建ての洋館を荷風は自ら「偏奇館(へんきかん)」と呼び、一人自由な創作活動を続けます。ここを拠点に東京の下町を散策、そして遊ぶ中から、「澤東締譚(ぼくとうきたん)」などの名作を生みだしました。
偏奇館は昭和20(1945)年の空襲で全焼。戦後は千葉県市川市に移り住み、昭和34(1959)年、79歳の生涯を終えました。

永井荷風が終戦までの25年間を過ごした偏奇館跡

  • この情報は、平成21年(2009年)3月1日号の広報みなとに掲載されました。現在と異なる場合がありますので、ご了承ください。

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