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青山という地名は、天正18(1590)年にこの土地を与えられた徳川家重臣の美濃郡上藩「青山家」の名が起源とされています。
青山通り(国道246号)の整備が進んだのは大正時代で、当時は庶民の足である都電が走っていました。「戦後、疎開から帰って来たら一面焼け野原。ご近所と助け合って街を復興させました」と、青山外苑前商店街振興組合顧問の小林敬三さんは振り返ります。
青山通りは翌年に迫った東京オリンピックに備え、昭和38(1963)年、それまでの22メートルから40メートルに幅員が拡張されました。昭和42(1967)年撮影の写真からは、拡幅を契機に4・5階建てのビルが建設されたことが分かります。「今も、スタジアム通りとの分岐辺りのビルに、当時の面影が残っていますね」と小林さん。車の増加に伴って乗客が減った都電は、昭和43(1968)年に廃止され、バブル景気の頃には通り沿いのビルの高層化が進みました。
「青山は殿様(青山家)をルーツに持つ街なので落ち着きのあるたたずまいですが、ご近所の間には温かい人間関係があります。この、ハイカラなイメージと厚い義理人情の共存は、長い年月をかけて培われてきた気風、一朝一夕にはつくれない青山のカラーです。街の外見が変わっても受け継いでいってほしいですね」と、小林さんはお話しくださいました。
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