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更新日:2017年12月29日

港区ゆかりの文人たち(5)「斎藤茂吉、北杜夫」

「斎藤茂吉、北杜夫」南青山4丁目17番40号 斎藤茂吉居住の跡青山霊園

近代短歌の巨匠、斎藤茂吉は港区を舞台に、医療に貢献した人物でもありました。明治15(1882)年山形に生まれた茂吉は、親戚の医者を頼って上京、その婿養子となって「青山脳病院」(現在の南青山4丁目17番付近)で病院経営と診療に携わったのです。本業のかたわら、学生時代からの趣味である短歌を続け、同人誌「アララギ」の主要メンバーとして活躍、連作「死にたまふ母」や歌集「赤光」で名声を博しました。

茂吉は大正13(1924)年、ドイツ・オーストリア留学からの帰国の途上、青山脳病院が失火により全焼したとの知らせを受けます。その後は、跡地と世田谷とに青山脳病院を分離して再建し、多額の借金を負いながらも医療と文学活動に従事し続けました。現在、居住跡には「あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきわ)るわが命なりけり」という茂吉の歌碑が建っています。この歌からは、茂吉は自分の命・人生を真っ赤に燃えて貫通している道に例えており、医者としての使命感が感じられます。

茂吉が病院経営に苦労する様子や家族の人間模様を小説「楡家の人びと」に著したのが、次男の北杜夫です。杜夫は、父から医者になることを強いられて反発し、また親の七光を嫌ったこともあって、あえて「北」という姓の筆名を使用していました。軽妙なエッセー「どくとるマンボウ」シリーズや芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」等多彩な作品を残しました。兄(茂吉の長男)茂太も精神科医でありながら、家族や心をテーマにした随筆を数多く残しており、文学一家として歴史に足跡を残しました。

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居住跡には現在、斎藤茂吉の歌碑が建っている

青山霊園内にある斎藤茂吉の墓

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