

同和問題は、生まれた場所(被差別部落)や、そこの出身というだけで差別される著しく不合理な差別の問題をいいます。
私たちの社会にある、人種の違いによる差別、宗教の違いによる差別、性の違いによる差別、障害者差別などは世界各地で見受けられる差別です。このような差別も、もちろん許されませんが、同和問題は、日本人がとらわれやすいケガレ意識や家意識、世間体など簡単には拭いさることのできない、日本固有の差別なのです。

16世紀末、豊臣秀吉は農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作りました。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限します。こうして被差別部落の形成が進んでいったといわれています。この差別されていた一部の人々は、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られていました。そのほとんどが神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業の人々です。神秘的であるが故、畏怖の念から「ケガレ意識」の目で見られてしまったのでしょうか。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、武具や馬具、太鼓などの革製品、竹細工、歌舞伎や浄瑠璃にいたるまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものです。
明治4年の解放令によって身分制度は廃止されました。しかし、被差別部落の生活や暮らしは改善されず形式的なものであったため、偏見や差別はそのまま放置されました。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革は、これまでの農民からの搾取を目的とした身分差別から産業労働力確保のための差別として拡大再生産され、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになりました。大正11年の水平社結成は被差別部落の人達が不当な差別を自らの運動により解消しようと立ち上がった出来事でした。
現在、行政・企業・宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が部落差別撤廃に取り組んでいます。しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として現われる、早急に解決が必要な現実の社会問題なのです。
※権力の関与の程度や成立の時期は現在も研究者の間で議論が進められています。

どこにでもいる若い男女がめぐり合いました。3年の交際を経て結婚を決意した2人でしたが、男性が女性の両親に被差別部落出身であることを話したところ、2人の結婚に対して猛反対を受けてしまいました。2年の歳月をかけて2人は女性の親戚を回って理解を求め、両親に何度も話しましたが、最後まで賛成を得ることはできませんでした。結婚した2人の間には子どもも生まれ、男性の方の両親はそんな2人を暖かく見守ってくれました。
一方、女性の両親とは、その後まったく交流がなく、孫達も母方の祖父母に会ったことがありません。2人の結婚を認めないまま、女性の母親は数年前に亡くなりました。
結婚を認めてもらえなかった2人、祖父母に存在すら認められない孫、実の娘や孫にも会えないで亡くなった母親・・・
差別は、差別される人を傷つけるだけではなく、差別する人の人間性を損ない不幸にするのです。
結婚差別はこの事例だけでなく、現在でもさまざまなところで起こっています。

2003年5月、東京都中央卸売市場食肉市場で働く人々を誹謗中傷する差別はがきを発端に、約400通の差別はがきと封書が都内の部落解放運動を推進する団体関係者を中心に全国的に送り付けられるという事件が発生しました。次第にエスカレートし、運動団体関係者の名前を騙って商品を注文し、図書、英会話教材、化粧品、お茶などが自宅に繰り返し送りつけられました。さらに電力供給契約の解約申し込みなどが勝手に行われ、大きな被害を受ける事態へと発展していきました。また、被害者の近隣の住民にも被害者を誹謗中傷する差別はがきを送りつけ、そこに住みづらくするような、大変卑劣な手段へと被害が拡大していきました。幸いにしてこの事件では、犯人が逮捕され実刑判決が確定しています。
21世紀は、「人権の世紀」といわれていますが、未だにこのような差別事件が起きています。これは、実際に起きている差別事件の氷山の一角であることはいうまでもありません。結婚や就職に際して多く現れる同和問題は、決して過去の問題ではありません。同和問題は、現在も解決していない人権問題なのです。

部落差別は生まれによって身に覚えのないレッテルを貼られることで起こります。そして、このレッテルは「みんながしている」、「昔からしている」と、差別を受け入れている人や、無知や無関心のままで、問題を正しく理解しようとしない人がいることによって根強く温存されているのです。
私たちがふだんなにげなく受け入れている「六曜」は、日にいいかげんなレッテルを貼った迷信です。このようなものにふだん無条件に従っている人は、はたして人間に対して貼られた誤ったレッテルを見破ることができるのでしょうか。
また、被差別部落の人たちが差別されるようになったのは、「ケガレているから」とよくいわれますが、これに対して「ケガレなど存在しないのだから間違っている」と説明できる人がどれだけいるでしょうか。心の底から間違っていると感じる人は、「清め塩」をまく習慣に従ったりはしないはずです。
私たちは、迷信や慣習など、ふだんなにげなく受け入れている偏見や固定観念を、常に問い直す努力が必要です。このような努力の積み重ねが、科学的かつ合理的な視点で物事を見極める習慣をつくりだし、ひいては差別へつながる偏見に気づくきっかけとなります。
また、科学的かつ合理的な視点で判断し根拠がないと気づいたことでも、「みんながしている」からといって従ってしまっては、差別とわかっていても「みんながしているから自分だけやめることはできない」といった、差別がなくならない構造を崩すことはできません。合理的でないものは、世間に惑わされることなく従わないといった、毅然とした態度をとれるようにすることが大切です。
ふだん当たり前のように受け入れている言葉や迷信、慣習、世間体といったものすべてが差別につながるわけではありません。しかし、見つめ直す努力をすることが、私たちの社会から差別をなくしていく道のりにはなくてはならないものなのです。
このように、私たち一人ひとりが同和問題の解決を目指し努力することは、偏見を見ぬく力を身につけ、世間体に負けず差別を許さない行動をとることであり、あらゆる差別を解決するための努力でもあるのです。

私たちは、ふだん肉を食べ、革製品を身につけていますが、これらを作るために必要な食肉解体業務(と畜業務)をする人に対して「ケガレ」や「残酷」を感じるといった矛盾はないでしょうか。
現在、東京では都がと畜業務を行っていますが、食肉・と畜に関しての長い歴史から食肉市場やそこで働く人に対する強い偏見・差別が残されています。
日本は、仏教の伝来による殺生戒と時の支配者の政策的な食肉禁制によって、長い間、肉食はケガレると考えられてきました。誰もが公然と肉を食べられるようになったのは明治に入ってからです。
しかし、食肉禁制・殺生禁断の時代でも、動物の皮は、馬具や武具の生産には欠かせない重要なものでした。そこで、江戸幕府は農耕用や運搬用の牛や馬が死んだときに、その処理を「ケガレた仕事」として被差別部落の人達にしか従事できない仕事とし、貴重な皮を独占させたのです。
明治になって食肉規制がなくなり、だんだん肉食が普及し、と場が全国各地に増えていきます。このような中、被差別部落の人達が中心となって伝統的な技術を伝え、部落産業の一つとして食肉産業を支えてきたのです。
被差別部落がと畜業務・食肉産業と深くかかわってきたことから、現在もさまざまな問題が起こっていますが、単なる職業差別という次元でなく、根本に同和問題の存在があるため、解決が遅れているといえます。
過去に働いていた、あるいは親せきがと場で働いているというだけで部落の出身として就職を拒否されたり、結婚に反対される人権侵害も起きています。
私たちは、ふだん肉を食べ革製品を身につけています。その生産過程で働く人を差別したりと場を忌み嫌うことは、矛盾した許されない行為です。この「許されない行為」にも同和問題との関わりの中で「うなずいてしまう人」が決して少なくないことは、残念なことです。
と畜業務は、私たちが生活するために必要な生き物の命を、高度な技術で活かしてくれている仕事です。こうした偏見や差別の実態をなくしていくためにも、同和問題の解決が必要なのです。
