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現在のページ:トップページ > 区政情報 > 区の概要 > 港区の地名の歴史 > 有栖川(ありすがわ)

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更新日:2012年3月30日

有栖川(ありすがわ)

広尾は、地下鉄日比谷線の駅名で、町名でいうと西麻布の西側にあります。

このあたりは、広い野原だったところで、天保7年(1836)の『江戸名所図会』の挿絵「広尾原(ひろをのはら)」を見ると、すすきの生い茂った野の道を、馬に乗ったり引いたりする農夫たちと、野遊びを楽しむ男女の行きかう有様が、描かれています。ですから、地名の起こりは広野だったかもしれないのですが、中世の『小田原衆所領役長』(永禄2年(1559))に平尾と出ている地名が、のちの広尾だという推定がありますし、広岡がなまったともいいます。

江戸時代になって、寛文8年(1668)に初めて人家の調べがあり、阿佐布(麻布)村の一部の地名として、なぜか樋蘢(ひろう)と書いたそうです。

それが正徳3年(1713)に町奉行の支配する市街地に編入されてから、広尾町と書くようになったと記録にあります。当時の人家は、今の広尾駅から東の有栖川宮記念公園の入り口付近を中心に、南部坂、木下坂の下へかけての位置にありました。この広尾町のまわりには、南部藩をはじめ大名の下(しも)屋敷や、畑地などが多く、畑は下(しも)渋谷村に属していたところもあります。一般には天現寺橋の向こう岸の方までが、広尾の原といわれていました。

明治5年に広尾町は元大名屋敷や畑地などへ範囲を広げ、古川沿岸の湿地が開拓されて八郎右衛門新田となり、そこを新広尾町と命名しています。住居表示後、広尾は渋谷区側の町名になりましたが、最近は表通りの外苑西通りが地中海通りとも呼ばれています。

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