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更新日:2012年3月30日

北青山(きたあおやま)

青山の地名は、天正18年(1590)に土地を与えられた、徳川家重臣の青山忠成から続く「青山家」(後の丹波篠山藩、美濃郡上藩)の名が起源とされています。

江戸時代に青山家の敷地の一部が町となり、青山浅河町など、“青山”を冠する町名がつけられましたが、それ以前の記録はなく、周辺の集落の名にも“青山”は確認できません。本格的に広域地名として認識されはじめたのは、明治以降であるとされています。

青山家屋敷地より分与された、厚木街道(大山道=現青山通り/国道246号線)以北が現在の北青山となりました。

その後、江戸は町を増やし、青山御掃除町、青山浅河町、青山御手大工町、青山五十人町、青山久保町、青山原宿町、青山六軒町、青山御炉路町、青山若松町、青山善光寺門前などが起こり、明治になるとこれらの小さな町は合併をくり返し、明治5年(1872)、青山権田原町、青山高樹町、青山六軒町、青山三筋町の4町を除く残りの町が、青山北町と青山南町に整理されました。

明治11年(1878)の「郡区町村編制法」で、北町・南町ともに一部を除いて赤坂区に所属、後に港区となり“赤坂”を冠称しました。昭和41年(1966)の「住居表示に関する法律」施行により、赤坂青山北町を中心に、赤坂青山六軒町・赤坂青山三筋町、原宿などの一部をあわせて「北青山」になりました。

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