現在のページ:トップページ > 区政情報 > 各種広報媒体・報道資料 > 広報紙 > 広報みなと > 「広報みなとコラム」バックナンバー > 文豪の風景in港区(全5回) > 文豪の風景in港区02 島崎藤村
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木曽谷に生まれた島崎藤村は明治14(1881)年、学業のために9歳で兄と上京。以降、都内を中心に転々と住居を変えています。そうした中、生涯で最も長く住んだのが40代半ばから18年間過ごした飯倉片町(現・麻布台)の借家でした。
麻布台から六本木へ向かう外苑東通りを脇に入る細い急坂を下った場所で三方が坂に囲まれていました。藤村の三男は「藤村私記」の中で、「何処へ出かけるにも坂を登ったり降りたりして、不便を忍ばねばならなかったが、急坂な山国で育った父には(略)住み心地よさそうだった」と回想しています。「嵐」「ある女の生涯」「夜明け前」などの作品はここから世に送り出されました。
飯倉に移る前、芝西久保桜川町(現・虎ノ門1丁目)にも滞在。随想集「飯倉だより」で藤村は、「武家の町若くは寺町としての江戸の名残をとどめて居る」とこの辺りについて記しています。
藤村を語る上で欠かせないのが、15歳で入学した明治学院(現・明治学院大学)での体験でした。シェイクスピアやゲーテ、森鴎外などの作品に触れ、文学への興味を開眼。自由な校風やキリスト教の洗礼なども、その後の人生と作品に影響を与えたといわれています。
明治学院大学の構内チャベルの脇には、藤村作詩の校歌を刻んだ石碑が建てられています。
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