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更新日:2022年9月21日

広報みなと2022年9月21日号
鉄道開業150年 港区と鉄道の夜明け

海の上を走った鉄道

開業時の新橋-横浜間の運賃は3等級制で、上等1円12銭5厘(りん)、中等75銭、下等37銭5厘でした。明治元(1868)年当時、米10キログラムの値段は約55銭といわれています。現在の貨幣価値に照らし合わせると、上等が1万5,000円、中等が1万円、下等が5,000円に相当し、運賃は大変高価なものでした。

新橋を出発した列車は品川に向かう途中で、一部区間を海の上を走りました。用地の取得が困難な地域を避けて線路を敷くために、浅瀬の海に盛り土をして石垣で固めた堤を築き、その上に線路を通したのです。この工事を決定したのが、鉄道事業の最高責任者に任命された参議の大隈重信(おおくましげのぶ)です。大隈の「陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ」という大号令の下、海上に築かれた堤、高輪築堤が生まれました。

高輪築堤は、現在のJR田町駅付近から品川駅付近までの約2.7キロメートルにわたって築かれました。平成31(2019)年、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見され、高輪築堤の遺構として大きな話題となりました。遺構には、当時の地域住民が築堤を抜けて舟で沖合に出られるようにと設けられた、橋梁(きょうりょう)の石組みもありました。特に第七橋梁付近の遺構は、弧を描く、形状の美しい石組みで、浮世絵師の3代目歌川広重が当時の築堤の様子を描いた錦絵を思い起こさせる見事なものでした。

築堤の石垣の石材には、台場や高輪海岸の石垣等が使用されています。一度埋め立てた土砂が波に流されて、築堤が崩壊する等工事は難航し、完成したのは開業の1カ月前のことでした。多くの困難を乗り越えて築かれた高輪築堤。新橋を発車した列車はここで海の上を走り、品川へ向かいました。


東京品川海辺蒸気車鉄道之真景
歌川広重(三代)


高輪牛町朧月景
小林清親

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