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更新日:2017年1月6日

港区ゆかりの文人たち(1)「尾崎紅葉」

「僕がお前に物を言うのも今夜限りだよ。一月の十七日、宮さん、よく覚えておおき。来年の今月今夜は、貫一はどこでこの月を見るのだか」。聡明(そうめい)ながら身寄りのない学生の貫一は、婚約者の宮が富豪の男性に心変わりしたことを知り、熱海の海岸で宮を足蹴(あしげ)にして行方をくらまします。その後、金の亡者となった貫一と、不幸な結婚生活を送る宮の悲劇を描いた小説「金色夜叉」は、大人気となってたびたび映画化・ドラマ化され、貫一とお宮が「引き裂かれた恋人」の代名詞となるほど社会に影響を与えました。

この「金色夜叉」の作者が、港区と縁の深い文豪・尾崎紅葉です。紅葉は慶応3年(1868年)に芝中門前二丁目25番(現在の芝大門2丁目7番4号)にあった首尾(しゅび)稲荷神社そばの家で生まれ、小説集を「芝肴(しばざかな)」と名付けるほど芝の地を愛しました。ペンネームの「紅葉」は、現在の東京タワー付近(当時は増上寺境内)の紅葉山に由来するものです。当時この山には高級料亭「紅葉館」があり、紅葉や、紅葉が結成した日本初の文学結社「硯友社(けんゆうしゃ)」の文人たちは、この料亭を集いの場としていました。

現在、芝大門2丁目7番に「尾崎紅葉生誕の地」を記念する札が立っています。そこから徒歩数分の芝公園4丁目2番辺りが現在の紅葉山です。紅葉は、南青山の青山霊園に葬られており、まさに生涯にわたって、港区に縁のあった文人といえます。

ペンネーム「紅葉」の由来となった紅葉山(現在の東京タワー周辺)
ペンネーム「紅葉」の由来となった紅葉山(現在の東京タワー周辺)

芝大門にある尾崎紅葉誕生の地
芝大門にある尾崎紅葉誕生の地

  • この情報は、平成26年(2014年)5月21日号の広報みなとに掲載されました。現在と異なる場合がありますので、ご了承ください。

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