ここから本文です。
あの日あのときを忘れない
東日本大しんさい
2011年3月11日ごご2時46分に、三陸沖でとても大きな地しんがありました。この地しんは、1995年の兵庫県南部地しんの1000ばいの力がありました。日本でさいだいの地しんでした。
この地しんで、宮城県栗原市ではしんど7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県ではしんど6強のゆれがありました。また、太平洋がわの海べに高い津波がきて、特に東北地方から関東地方で大きなひがいがありました。
さらに、うめたて地などでは地ばんがゆるくなり、地下水があさいところでは地ばんがどろどろになりました。地ばんがさがり、下水管やマンホールがうき上がったり、たて物がかたむいたりしました。
この地しんと津波で、やく1万8,500人がなくなったり行方不明になったりしました。9わりいじょうの人が津波でなくなりました。
平成28年(2016年)熊本地しん
この熊本地しんでは、しんど1いじょうの地しんが4,596回もありました(平成31年4月12日げんざい)。
この地しんで、家がたおれて下じきになったりして50人がなくなりました。また、よしんがつづき、じたくからひなんしてひなん生活で心と体にふたんがかかり、223人がなくなりました。中でも、車の中でひなん生活をして、せまい車内で長い時間おなじしせいでいることで血のながれがわるくなり、「エコノミークラスしょうこうぐん」でなくなる人もいました。
さらに、たて物のひがいも大きく、全かいやく8,700とうをふくむ住家やく20万6,900とうがこわれました。中には、2000年いこうにたてられた新しいたて物もありました。かつだんそうのずれによるちょっかがた地しんのこわさをあらためてかんじました。