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更新日:2012年3月30日

高輪(たかなわ)

この地名の歴史は古く、戦国時代がはじまった
大永4年(1524)の「軍記物語」に、江戸城を攻めた小田原「北条」軍が、守る「上杉」軍と激戦を展開した地として、「高縄(たかなわ)原」の名が登場します。高縄とは、高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道を意味しています。

ほかにも、文治5年(1189)の「吾妻鏡」にある「高鼻和太郎」にちなむものとされる説もあります。

高鼻和のほかに、高名輪、高縄、高畷など、時代によって様々な表記があったようですが、現在の“高輪”に落ちついたのは、江戸時代の「正保郷帳(1640年頃)」にある記録が最初とされています。江戸時代に上・下高輪町に分かれ、上高輪町はそのほとんどが寺地で町屋はほんのわずかでした。寛文2年(1662)に奉行支配となり、芝田町、芝伊皿子町、芝伊皿子七軒町、芝伊皿子明下町などの総称となりましたが、明治になって総称としての上高輪町は姿を消してしまいます。

一方、下高輪町は、正徳3年(1713)に町奉行支配となり、高輪北町、高輪中町、高輪前町、高輪北横町、高輪台町などと、諸寺の門前(町屋)によって構成されていました。明治維新でこれらは、高輪北町、高輪台町、下高輪町、高輪南町、芝二本榎町に集約されます。昭和22年(1947)、港区が成立し、各町名には芝の冠称がつけられました。その後、昭和42年(1967)の「新住居表示」により、芝二本榎町、芝君塚町、下高輪西台町、芝白金丹波町、芝車町、芝高輪北町、芝高輪南町、芝高輪台町などの全域と、芝伊皿子町、芝二本榎西町、芝白金猿町などの各一部が大合併し、現在の「高輪」となりました。

「忠臣蔵」でおなじみの“泉岳寺”は、ここ高輪の二丁目にあります。

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