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更新日:2022年12月21日

鉄道開業150年 港区と鉄道の夜明け

目次

第1回 鉄道発祥の地 港区

令和4年は日本初の鉄道が開業して150年です。1872(明治5)年10月14日、新橋から横浜間が開通しました。「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ばれた機関車が約29キロメートルを53分程かけて走りました。煙を上げながら走るその様子に人々は驚き、まさに文明開化の象徴といえる光景でした。

欧米諸国に追いつくために明治政府は近代産業の育成に努め、社会資本の整備を進めました。鉄道事業もその一つでイギリスから機関車・客車・線路等を輸入し、イギリス人技師のエドモント・モレルを招きました。工事は急ピッチで進められ、建設決定から3年で開業にこぎつけたのです。

開業当時の新橋停車場駅舎は現在の新橋駅とは位置が異なり、東へ350メートルほどの汐留地区にありました。関東大震災で焼失する等により、正確な位置は不明でしたが、平成期の汐留再開発の際の発掘調査で、旧新橋駅舎やホーム等の遺構が発見されました。その一部が史跡として国の指定を受け、その保護と鉄道発祥の往時をしのぶために、当時の外観を忠実に再現した「旧新橋停車場鉄道歴史展示室」が2003(平成15)年、東新橋一丁目に開館しました。展示室には発掘調査で出土した品が展示され、無料で見学できます。

復元駅舎には当時のホームも再現されています。鉄路が敷かれたその先には1本のくいが立っています。1870(明治3)年、この地に測量の起点となる第一くいが打ち込まれました。これは工事の始まりを示す0哩(ゼロマイル)標識と呼ばれ、国の指定史跡に認定されています。オフィス街の高層ビルの合間に立つレトロな外観の旧駅舎。その鉄路の先頭にひっそりと立つ「0」マークが施された標識は、ここ新橋が日本の鉄道発祥の地であることを物語っています。

 

旧新橋停車場 プラットホーム
旧新橋停車場 プラットホーム

0哩標識
0哩標識

第2回 海の上を走った鉄道

開業時の新橋-横浜間の運賃は3等級制で、上等1円12銭5厘(りん)、中等75銭、下等37銭5厘でした。明治元(1868)年当時、米10キログラムの値段は約55銭といわれています。現在の貨幣価値に照らし合わせると、上等が1万5,000円、中等が1万円、下等が5,000円に相当し、運賃は大変高価なものでした。

新橋を出発した列車は品川に向かう途中で、一部区間を海の上を走りました。用地の取得が困難な地域を避けて線路を敷くために、浅瀬の海に盛り土をして石垣で固めた堤を築き、その上に線路を通したのです。この工事を決定したのが、鉄道事業の最高責任者に任命された参議の大隈重信(おおくましげのぶ)です。大隈の「陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ」という大号令の下、海上に築かれた堤、高輪築堤が生まれました。

高輪築堤は、現在のJR田町駅付近から品川駅付近までの約2.7キロメートルにわたって築かれました。平成31(2019)年、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見され、高輪築堤の遺構として大きな話題となりました。遺構には、当時の地域住民が築堤を抜けて舟で沖合に出られるようにと設けられた、橋梁(きょうりょう)の石組みもありました。特に第七橋梁付近の遺構は、弧を描く、形状の美しい石組みで、浮世絵師の3代目歌川広重が当時の築堤の様子を描いた錦絵を思い起こさせる見事なものでした。

築堤の石垣の石材には、台場や高輪海岸の石垣等が使用されています。一度埋め立てた土砂が波に流されて、築堤が崩壊する等工事は難航し、完成したのは開業の1カ月前のことでした。多くの困難を乗り越えて築かれた高輪築堤。新橋を発車した列車はここで海の上を走り、品川へ向かいました。

 


東京品川海辺蒸気車鉄道之真景
歌川広重(三代)


高輪牛町朧月景
小林清親

 第3回 品川から仮開業した列車が横浜へ

日本最初の鉄道の正式開業は明治5(1872)年10月14日ですが、その4カ月前の6月12日、品川-横浜間で仮営業が始まりました。高輪築堤の工事が遅れたため、先に完成していた品川-横浜間に蒸気機関車を走らせ、安全確認と乗務員訓練を行ったのです。そのため、品川駅は横浜駅とともに「日本で最初に開業した駅」といわれています。品川停車場と呼ばれていた当時の駅舎は現在よりも少し南寄りに位置し、海岸沿いにありました。打ち寄せる海水のしぶきで、走行中は客車の窓を全部閉めなければならなかったといわれています。

現在のJR品川駅高輪口付近には「品川駅創業記念碑」があります(再開発工事のため駅ロータリーから移設中)。碑の裏側には仮営業初日の時刻表と運賃が刻まれています。正式開業時、新橋-横浜間に設けられた駅は品川、川崎、神奈川(現在の横浜駅の北)で、すぐ後に鶴見駅が開業しました。列車は新橋-横浜間29キロメートルを53分かけて走り、1日9往復しました。

横浜駅(現在の桜木町駅の場所に位置)に向かう途中で列車は、高輪築堤と同じように海の上を走りました。神奈川駅と横浜駅の間の入り江に、土手を築いて線路を敷いたのです。これを事業を行った実業家の高島嘉右衛門(たかしまかえもん)の名を取り高島築堤といいました。横浜駅の設計は新橋駅と同じアメリカ人建築家のブリジェンスです。外国人居留地に隣接する、海を埋め立てた造成地に石造りの駅舎を建て、幅11.2メートルのホームが設けられました。

鉄道の開通は、明治期の文明開化のシンボルとなりましたが、この年、当時の人々を驚かせたもう一つの出来事がありました。現在の横浜の馬車道通りに街灯として利用された日本初のガス灯が設置され、火がともされました。鉄道開業と同様、令和4年の今年はガス事業誕生から150年に当たるのです。

 


品川駅創業記念碑(平成6年撮影)


新橋SL広場のSLとガス灯
(平成17年撮影)

 第4回 金杉橋から銀座通りに続いた東京初のガス灯

鉄道が開業した約半月後の明治5(1872)年10月31日、都市ガス事業が横浜で始まりました。横浜港から横浜駅へと続く通りを照らすため、馬車道通り等に10数基のガス灯をともしたのが最初です。これを記念して、10月31日は「ガスの記念日」となりました。その2年後の明治7(1874)年12月、東京でも都市ガス事業が始まりました。金杉橋から新橋駅前を経て銀座通り沿いに京橋まで、85基のガス灯がともりました。鉄道とガス灯は、文明開化の象徴として東京と横浜の都市の顔となります。

当時のガス灯は、炎がむき出しの裸火でした。点火は、点火棒を使ってガス栓を開け、棒の先端につけた硫黄の火種を使って直接灯をともす手作業でした。そのため毎夕方点灯し、翌朝に消灯する役目の「点消方(てんしょうかた)」という専門職がいました。「江戸時代までは、夜は闇夜が当たり前でした。ガス灯が登場し、夜でも街が明るくなり、商店で夜に商いができるようになる等、街は一変し、当時の人はとても驚きました」と暮らしと都市ガスの歴史を紹介する博物館、ガスミュージアム館長の浅倉 与志雄(よしお)さん。

85基で始まった東京のガス灯は3年後には356基に増え、東京の街を明るく照らしました。その後、より明るく安定して輝くマントルガス灯が明治30(1897)年頃に登場すると、ガス灯は住宅の室内灯としても普及し、同時にこの頃から、ガスは炊事等の熱源としても使われるようになりました。

「ガスは150年前も今も変わらず、暮らしを支えるライフラインです」と浅倉さん。「今では、復刻されたガス灯が全国で3,000基余りともっています。港区内でも、大門や虎ノ門、芝浦等にありますので、温かみのあるガスの炎の揺らぎを見つめて、都市の記憶に思いをはせるのはいかがですか」とお話しくださいました。

 


東京名所之内 新橋停車場之夜景
(東京ガスネットワークガスミュージアム所蔵)


芝浦公園

第5回 全国へ延びた鉄路が国の礎に

日本で初の鉄道を開業するために、明治3(1870)年に鉄道資材を英国から購入し、横浜港で陸揚げしました。その2年後の明治5(1872)年、現在のJR桜木町駅にあたる場所に初代の横浜駅が開業しました。駅舎は、骨組みを石で覆った木骨石張りと呼ばれる造りで防火性の高いもので、2階建て2棟の駅舎は、新橋駅とほぼ同じデザインでした。この初代横浜駅は大正4(1915)年、2代目横浜駅の開業に伴い、桜木町駅に改称しました。 

文明開化のシンボルとして当時の人々を驚かせた鉄道はその後、目覚ましいスピードで全国に鉄路を延ばしました。明治22(1889)年には新橋-神戸間に東海道線が全線開通し、約605キロメートルを約20時間で走りました。江戸時代、東海道を日本橋から京都まで、徒歩で13から15日ほどかかった行程が1日になったのです。鉄道の利便性は新しい国造りに欠かせないものとなり、明治末期までに、ほぼ全国の幹線網が完成されました。

新橋、横浜の他にも鉄道開業について触れられる場所があります。新橋-品川間の海上に鉄路を通すために設けられた高輪築堤。その建設に尽力した明治の元勲、大隈重信の生誕の地、佐賀県です。

佐賀市の佐賀県立博物館では「高輪築堤-日本を拓(ひら)いた鉄の道」を常設展示しています。鉄道開業に携わった大隈の偉業を解説し、平成31(2019)年に発見された高輪築堤の一部を再現展示しています。他にも同市内の大隈重信記念館等でも、高輪築堤の石が展示されています。

150年前に港区新橋で開業した鉄道は、全国に鉄路を延ばし、その後の日本の発展に大きく寄与したのです。

 


横浜商館並ニ辨天橋図 横浜ステーション蒸気入車之図並ニ海岸洋船燈明台を眺望す
(東京ガスネットワーク ガスミュージアム所蔵)


佐賀県立博物館の高輪築堤再現展示
(写真提供:佐賀県)

 

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