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現在のページ:トップページ > 区政情報 > 区の概要 > 港区の地名の歴史 > 神谷町(かみやちょう)

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更新日:2012年3月30日

神谷町(かみやちょう)

神谷町という町名はなくなりましたが、地下鉄日比谷線の駅の名称として使われています。

日本の国道1 号線、すなわち桜田通りの交差点の名称でもあります。

桜田通りは、ここのところで、愛宕山の西の窪地という意味だったという説のある西久保の地域を通過しています。麻布飯倉の高台との間にはさまれた小さな谷間ですから、神谷と谷の文字がついてようにも思われますが、実はこの神谷というのは三河の国八名郡にある村の名をとってつけられたものでした。

町の始まりは、徳川家康が三河にいたころから、その身近に勤めていた、お手廻り仲間(ちゅうげん)の者たちが、家康に従って江戸入りし、慶長19年(1614)に、この土地に組頭以下の組屋敷を与えられたということです。

当時、西の久保田町といったというのは、低地への移行地帯で、田んぼがあったからでしょう。

実はこの土地には、それより以前に漁師が住んでいたらしく、元和(げんな)年間(1615~1624 年)にここから麻布に移されて、のちの竜土町(りょうどちょう)(竜土とは漁人(りょうど)のなまりともいう)になったといわれます。昔は海が迫っていたところなのでしょう。漁師たちは町の配置計画上、古い街道の沿道である今の外苑東通り沿いに移されたもののようです。
元禄9年(1696)に組屋敷は町屋敷となり、商人などの居住を許しましたが、その時に郷里の村名をつけるよう町奉行から名主の小兵衛に申し渡しました。増上寺御用の紙屋があったからというのは、誤解の説のようで、昭和52年に虎ノ門となるまで続いた町名でした。

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