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港区(みなとく)は芝(しば)、麻布(あざぶ)、赤坂(あかさか)、高輪(たかなわ)、芝浦(しばうら)・港南(こうなん)、5つのエリアに分かれているんだ。どのエリアも個性(こせい)豊か(ゆたか)で、見どころもたくさんあるよ。みんなは自分の住ん(すん)でいるエリアのこと、どこまで知ってるかな? 気になるエリアをクリックしてみよう!
芝地区(しばちく)の新橋(しんばし)や虎ノ門(とらのもん)周辺(しゅうへん)にはオフィスビルがたくさん建ち並び(たちならび)、日本のビジネスの中心地の一つとなっています。平日(へいじつ)は朝も夜も、ビジネスマンの活気であふれています。しかしそんな街(まち)も、かつて一部(いちぶ)では漁業(ぎょぎょう)も行われた街だったのです。オフィス街(がい)から少し離れる(はなれる)と、東京タワーや竹芝桟橋(たけしばさんばし)など、多くの人が集まる(あつまる)観光名所(かんこうめいしょ)や、徳川(とくがわ)家の菩提寺(ぼだいじ)であり、国指定文化財(していぶんかざい)の門を持つ(もつ)増上寺(ぞうじょうじ)のような由緒(ゆいしょ)ある寺社も多く、いろんな表情(ひょうじょう)を持つ(もつ)エリアなのです。
高台地に旧官庁(きゅうかんちょう)や新しい住宅街(じゅうたくがい)、古川沿い(ぞい)に下町の街並み(まちなみ)が垣間見(かいまみ)える麻布地区(あざぶちく)。テレビや雑誌(ざっし)では有名(ゆうめい)なレストランやスポットがよく紹介(しょうかい)されますが、実は(じつは)江戸時代(えどじだい)には多くの武家屋敷(ぶけやしき)があり、昔(むかし)からの住宅(じゅうたく)地なのです。また、大名家の屋敷(やしき)を明治政府(めいじせいふ)が没収(ぼっしゅう)し、その跡地(あとち)が各国(かっこく)の大使館(たいしかん)として使わ(つかわ)れるようになった経緯(けいい)もあり、港区(みなとく)の中でも大使館が多いのも特徴(とくちょう)です。最近(さいきん)ではショッピング施設(しせつ)や美術館(びじゅつかん)などもつくられていますが、細い道に入ると住宅地が広がっています。
赤坂地区(あかさかちく)は明治時代(めいじじだい)に迎賓館(げいひんかん)や料亭街(りょうていがい)、戦後(せんご)には青山通りや地下鉄駅(ちかてつえき)周辺(しゅうへん)などに大きなビルが建ち(たち)ました。レストランや料亭(りょうてい)が次々(つぎつぎ)とでき、各国(かっこく)大使館(たいしかん)の駐在員(ちゅうざいいん)や芸能人(げいのうじん)、ファッションモデルや文化(ぶんか)人が多く出入りする華やか(はなやか)な繁華街(はんかがい)としてにぎわったのです。また青山にはブティックやヘアサロンが多くあり、ファッションの街(まち)として知られています。
高輪地区(たかなわちく)は西と東で雰囲気(ふんいき)が異なる(ことなる)街(まち)です。西に位置(いち)する白金エリアは住宅街(じゅうたくがい)が多く、歴史(れきし)ある洋館(ようかん)があります。また天然記念物(てんねんきねんぶつ)および史跡(しせき)に指定(してい)されている旧(きゅう)白金御料地(ごりょうち)(国立科学博物館付属(はくぶつかんふぞく)自然教育(しぜんきょういく)園)をはじめ、緑(みどり)が多く感じ(かんじ)られるでしょう。一方、東の高輪(たかなわ)エリアは、江戸(えど)の南の玄関(げんかん)だった高輪大木戸跡(あと)や、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)で知られる赤穂浪士(あこうろうし)の墓所(ぼしょ)である泉岳寺(せんがくじ)をはじめとした多くの寺、文化財(ぶんかざい)など歴史的(れきしてき)な財産(ざいさん)が街の中にたくさん残っ(のこっ)ています。
多くの運河(うんが)が流れる(ながれる)芝浦(しばうら)・港南(こうなん)地区(ちく)。現在(げんざい)も海からの積み荷(つみに)をおろすクレーンや倉庫(そうこ)が建つ(たつ)流通(りゅうつう)の一大基地(きち)でもあります。現在のJR品川駅(しながわえき)・田町駅(たまちえき)がある場所(ばしょ)も、江戸時代(えどじだい)までは海の上でしたが明治時代(めいじじだい)以降(いこう)は埋め立て(うめたて)られていきました。埋立(うめたて)地は大規模(きぼ)な開発(かいはつ)地区となり、お台場もその一つです。最近(さいきん)では埋立地に超高層(ちょうこうそう)マンションが建つ(たつ)ようにもなりました。また、芝浦・港南地区はさまざまな交通が走っていて、モノレール、ゆりかもめ、お台場・隅田川(すみだがわ)方面(ほうめん)とを結ぶ(むすぶ)水上バスも出ています。