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更新日:2020年1月16日

麻布地区の地域情報紙(最新号)

 アートな麻布に魅せられて22 変わらぬ佇まい 和朗フラットのいま

街の景観が大きく変わりつつある麻布台界隈。その中にあって再開発の波にのまれず、昭和の旧(ふる)き良き面影をとどめ、いまなお現役の集合住宅「和朗フラット」(旧飯倉片町六番地)を訪ねた。多くの人に愛され続ける、その魅力を語りたい。

麻布台三丁目、外苑東通りから南側の坂下一帯には、比較的低層のマンションやビルが並ぶ。その奥に、瀟洒(しょうしゃ)な佇まいで異彩を放っているのが和朗フラットだ。木造の賃貸アパートで、昭和10年(1935)から13年にかけて7棟が建てられ、80余年を経て、3つの棟が現存している。スペイン風の白い塗り壁にスレート葺きの屋根、アーチ型の張り出し、木製の窓。生い茂る樹木に包まれた外観は、なんとも異国情緒たっぷり。現在でも、入居希望者が引きも切らないという。

建築主の上田文三郎(ぶんざぶろう)氏は、建築とは別の業界に生きたサラリーマンだった。洒落者、かつ裕福であったらしい。昭和3年(1928)、アメリカ見学旅行に参加。帰国後、現地で目にしたと思われるコロニアル様式*のエッセンスを散りばめた建物を設計し、自らも住んだ。7棟すべてが建ち並ぶ景観は、さぞ壮麗であったことだろう。以後スペイン村と呼ばれ、麻布の美しい街並みの一つとして数えられている。

和朗フラットで日常を過ごす人たちにお話を伺い、ご好意で撮影を行う機会を得た。「建築の本を見て心惹かれ、入居を申し込みました。」とは30代の男性。収納家具は作り付けなので、アンティークのテーブルや椅子を持ち込み、往時の雰囲気を再現。また、路面に軒を連ねる四号館の雑貨店、ギャラリー、ホームメイドの菓子店の店主も、「15年前からの憧れの場所に、仕事場をもてたことは大きな喜びです。今も、窓の向こうの風景は変わっていません。ずっとこのままであってほしいです。」「大切に保存され、長い時間の中で愛されてきた建物です。それは、私がギャラリーに展示する作品を選ぶときのコンセプトと重なります。」「ご縁ができたのは1980年代です。路地奥に、あるとは思わない洋館が突然出現する、それが面白くて。」と、それぞれの思いを語る。“みんなが、和やかに朗らかに暮らすところであるように”との意図でネーミングした上田氏の思いは、確実に受け継がれている。

 大使を訪ねて 麻布の"世界"から サンマリノ共和国

駐日外交団長/特命全権大使 マンリオ・カデロ

  • サンマリノ共和国
  • 面積:61.2平方キロメートル(世田谷区とほぼ同じ広さ)
  • 人口:33,121人(2016年8月)
  • 首都:サンマリノ市
  • 言語:イタリア語
  • 元首:執政2名。6カ月毎に互選。
  • 議会:大評議会のみの一院制。定数は60名
  • 外務省ホームページに加筆(外部サイトへリンク)

シックなネイビースーツを精悍に着こなすマンリオ・カデロ大使は、イタリアのシエナに生まれ、パリのソルボンヌ大学へ留学し、フランス語もお上手で日本語を含めた7カ国語を話される。駐日外交団長に就任されてからの多忙な日々のなか、貴重なお時間をいただいた我々取材陣を、喜色満面な笑顔で迎えてくださった。

大使はジャーナリストを志し、ソルボンヌ大学で言葉の起源をたどる語源学(l’étymologie)を専攻された。語源学とは、例えば、「OK」という言葉のルーツには諸説あるが、英語の軍隊用語で「zero killed 」といい、戦いから戻り「OK」というと「誰も死んでいない」、無事に戻ったという有力な一説がある、と教えてくださった。

初代特命全権大使として、駐日の大使155名を束ねる外交団長として

マンリオ・カデロ大使は、1975年に来日し東京でジャーナリストとして活躍。イタリア中部に位置する国サンマリノで、外交のお仕事に就かれた経緯を楽しそうに話される。

「サンマリノにいる父方の親戚から、マンリオちゃん、日本で名誉総領事をしてくれないかと突然に頼まれました(笑)と言いますのは、1996年正式に外交関係が開かれるまで、日本には大使館も領事館もありませんでした。当時は、通信社の記者としてイタリアや諸外国に、日本から発信する仕事をしておりました。

サンマリノでは日本の輸入品がとても人気で、国民は日本との外交が本格的に開かれるのを望んでいました」

1989年にはサンマリノ共和国総領事に就任し、領事館が開かれるまでの10年ほどジャーナリストも続けられた。2002年に大使館が開設され日本初代特命全権大使に、2011年には在日155カ国のトップの外交団長に就任。

「外交団長は信任状を捧呈した日が、最も早い大使が順番に就かれる職なのですが、そのことを全く知りませんでした。ある日、外務省から‒‒おめでとうございます。外交団長に任命されました‒‒という知らせが届きまして、大変、驚きました。団長の仕事はテキストブックも何もありません。歴代の団長がまとめた情報をもとに仕事をいたします。仕事の量は多く、とても大変ですが名誉ある仕事です。大使の代表として、天皇陛下の御誕辰(お誕生日)での祝賀スピーチや、両陛下が外国への訪問の際には、羽田空港までお見送り、お出迎えへ行かせていただきます。また新しく就任した大使から訪問を受けます。そして日本各地で講演活動も行っています」

上皇陛下とのエピソードを『だから日本は世界から尊敬される』(小学館2014)で綴られる。外交団長として大使のご活躍は枚挙にいとまがない。

サンマリノ共和国と日本の友好

著書『世界が感動する日本の「当たり前」』(小学館 2018)では、日本文化の素晴らしさや日本人の精神性に言及していらっしゃいますが、母国サンマリノはどのような国なのでしょう。

「1718年もの間、軍隊を持たない、平和と自由を重んじる世界最古の共和国で、素晴らしい国です。実は父は、サンマリノのそういう面に憧れていました。国民は明るくのんびりとしたところがあります。政治家は専門ではなく、他に仕事を持っています。任期は6カ月で、議員の中から2名の執政が選ばれます。6カ月毎になった理由は、他の人にも執政になる機会を与えるためと、6カ月ほどでは悪いことをする時間がないでしょう(笑)」

首都サンマリノ市の歴史地区とティターノ山が、2008年世界文化遺産に登録された。2014年6月22日、大使のご尽力と日本サンマリノ友好協会によって、サンマリノに神社が建立されたことを、大使は心から喜んでおられる。

「東日本大震災ではサンマリノの人口に近い数の方が犠牲になり、そのメモリアル神社としての役割もあります。建立以来、毎年6月末にはサンマリノ神社を中心にニッポンまつりが開かれ、日本酒や和食が提供されます。お祭りを通じてサンマリノの人々に、日本の神社への理解が徐々に得られるようになってきました。日本から神社を訪れる宮司が増えていることも、実に喜ばしいです」

国営ワインが有名なサンマリノでは、高品質なワインを世界へ輸出している。その中には、神社の隣の畑で収穫された、サンマリノ神社ワインも含まれる。

日常、港区での過ごし方を伺ったところ「時間を見つけては公共施設の25メートルプールで泳いでいます。泳ぐのが大好きで、10メートルの素潜りも得意ですよ。1日の食事はランチとディナーだけをとります。人と会うことが多い仕事ですから、ほとんど外食です」

大使館から近い六本木のリストランテへ足を運ばれることが多いようだ。もちろんサンマリノ産のワインを持参して。

節目の50号という機会にあたって、外交団長の大使よりお話を伺えたことに、深い敬意を持って御礼を申し上げたい。言葉の研究から得られた知見をインプットし、日本人の「和の心」を世界へ向けて提言されている大使の魅力をご紹介でき喜ばしく思う。

取材協力/写真提供 サンマリノ共和国大使館
参考文献 小学館国語辞典編集部『日本国語大辞典2』(小学館 2006)マンリオ・カデロ/加瀬英明『神道が世界を救う』(勉誠出版2018)
(取材/おおばまりか、高柳由紀子 文/おおばまりか)

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お問い合わせ

所属課室:麻布地区総合支所協働推進課地区政策担当

電話番号:03-5114-8812