更新日:2026年8月14日
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麻布地区の地域情報紙(最新号)

特集 スクールドッグのいる学舎(まなびや)に
東洋英和女学院小学部

鳥居坂(とりいざか)の上、緑にかこまれた学舎に、とびきりの人なつっこさで子どもたちをむかえる1匹の犬がいました。キャラメル色の毛並みがやわらかいオーストラリアン・ラブラドゥードゥル。子どもたちは、Eの字のついたANNEと呼んでいます。アンは、学院ゆかりの村岡花子さんの訳した「赤毛のアン」から名付けられました。なんともこの学舎にふさわしい女の子のなまえです。
アンのいる教室
2025年4月、オーストラリアから来た小さな犬が東洋英和女学院小学部に登場しました。スクールドッグの受け入れを進めた吉田太郎小学部長(小学校長)が自宅で飼育し、毎朝一緒に通勤して、登校する子どもたちを入り口で迎えるところから1日が始まります。
休み時間に部長室のドアが開いていれば、アン目当てに子どもたちが集まります。部長が担当する聖書の授業では、一緒に教室に向かいます。途中の廊下でも、教室の机の間を歩いても、子どもたちがアンに触れて歓迎します。教室では、最初の数分間がふれあいタイム。床のシートに落ち着くと、騒いでいた子どもたちも、部長の話に集中していました。
アンの贈り物
オーストラリアン・ラブラドゥードゥルは、アレルギーのある人向けの介助犬として、1980年代に開発されました。毛が抜けない、吠えないという特徴に加え、陽気さやフレンドリーな性格も兼ね備えています。その人なつっこさは、初めて会っても、まるで自分の飼い犬と錯覚するほど心地よいものでした。
アンの親はセラピードッグのトレーニングを受け、実績を積んでいました。アンもその資質を受け継いでいます。セラピードッグは、高齢者や患者の心と体の機能回復を補助する活動をしている犬です。部長は、前任校でスクールドッグ導入の経験をお持ちでした。
「犬がいたら集中できないのではないかとも言われた。でも、実際にやってみてもそんなことはなかった。犬がいるから、かえって騒がない。子どもは、私が話を始めると、犬を見なくなるんです」
学院のアンも、そこにいるだけで、教室で学びたいという意欲、緊張も不安もない穏やかな時間を子どもたちに届けているのです。

部長室にて吉田部長とアン。
アンは人が大好き
学校で飼育するのではなく、部長が自宅で飼育し、一緒に登校します。
部長は、スクールドッグの実績のあるオーストラリアへ行き、現地の学校やブリーダーを訪ね、アンに出会いました。現地の子どもたちにきてもらっていくつかの個体の中から選んでもらった時も、この子が選ばれたそうです。
「セラピードッグと言ったほうがわかりやすいのですが、アンはセラピーというよりウェルビーイングがふさわしいと思っています」
ともにいるだけで、心身の調和や充足感をもたらしてくれる存在です。アンは部長のもとで基本的な訓練を続けています。それは、かわいがりながら、育て、遊ぶこと。セラピードッグの人間好きという資質も、こうした愛情を受けながら育まれていくのでしょう。アンのいる登校風景をこのまま一枚の絵画として心にきざみ、いつまでも残したいと思った朝でした。
シンボルツリーのタイサンボク

何代もの卒業生の思い出の込められた校庭のタイサンボクです。中程の黄色の線は、子どもたちがのぼってもよいライン。ふつうは幹が高く伸びるのに、長い間子どもたちがのぼり続けてきたから、このように広がったようです。直近に迫った六本木5丁目の再開発。部長は、子どもたちの思い出に、なんとしてもこの木を残したいと奔走しています。
(取材・文/樋口政則)
麻布びと 未来へ残したい麻布の声
モデル・女優・歌手 小林(こばやし)麻美(あさみ)さん
伝説のお洒落ミューズ
小林麻美は港区在住20数年。モデル・女優・歌手として一世を風靡し、結婚出産を機に37歳で芸能生活に終止符を打つ。しかし4半世紀振りに再デビューを果した。現在は、公益財団法人 日本服飾文化振興財団の評議員を務め、ファッションモデルとしても幾多の雑誌を飾る。都会的で洗練されたファッションで、品格ある麻布びととして「女性が女性に憧れる」ロールモデル的な生き方をする彼女を語ってみたい。
芸能活動

彼女の麻布への接点は、普連土学園中等部に入学した折、六本木交差点の側(そば)にあった英会話学校に通い始めたことに始まる。
高校1年生のとき、大病を患い長期入院生活を送る治癒後、文化人の子息が多く在籍し感性豊かな人間を育てるという自由・知性・芸術の象徴であった文化学院に転入する。その後、日比谷みゆき座でスカウトされ、ライオン歯磨のCMガールに起用される。18歳の時、「初恋のメロディー」で歌手デビューする。同期には、麻丘めぐみたちがいた。当時のアイドルたちは明るく無邪気な笑顔で歌うが、暗い印象のある彼女はアイドル歌手には不向きでシングルを数枚発表した後、活動は自然消滅した。
脚光を浴びるのは、資生堂やパルコ等のCMに起用されてからである。資生堂のCMでは、着物姿の凛とした表情が美しい。特に伝説のアートディレクター石岡瑛子さんのプロデュースしたパルコのCMは衝撃だった。華奢でアンニュイな彼女は、赤いイブニングドレスを纏い淫靡と退廃を見事に表現した。「野獣死すべし」「真夜中の招待状」等の映画にも出演する。
彼女に訊いた事がある。「当時アンニュイなモデルと云われたけど演技だったの?」「暗い女の子だったから(笑)、素のままだったの」と微笑んだ。1984年イタリア歌手ガゼボの「I Like Chopin」をユーミン(松任谷由実)が日本語で作詞しリリースした「雨音はショパンの調(しら)べ」を彼女が歌い大ブレイクする。双子のように仲の良い親友ユーミンが彼女に歌うよう後押ししたのだ。この歌をカバーした歌手たちもいたが、ガゼボは「この曲にマッチするのは、麻美のウィスパーボイスだ」と大鼓判を押した。飯倉片町のキャンティ隣りにあった所属事務所の方針で、音楽番組には出演しなかった。そのことでかえって「伝説のミューズ」の伝説が生まれたのかも知れない。
引退・子育て・結婚生活
引退後は、家庭オンリーの生活で、ママ友との付合(つきあい)はあっても芸能界とは無縁であった。「私ね。子どもが学校から帰ってきたら『おかえりなさい』と言える普通の家庭に憧れてたの。両親は仕事で忙しくて、7歳年上の姉は、結婚して早く家を出た。だからいつも孤独だったの。淋しさを紛らわしてくれたのが読書と映画鑑賞だったわ」
仲間たちとお茶してる時でも、子どもから連絡が入るとすっ飛んで帰る彼女の姿があった。
憧れたイヴ・サンローラン
初めてサンローランのサファリジャケットを買ったのが18歳の時だった。トレンチコートが特にお気に入りだった。彼は60年代「既成概念と闘うべきだ」という信念からプレタポルテとしてパンツスタイルのスーツを発表した。彼女は、覚悟を持ってそれを着る決意をした。ところが、10年程前に、買い集めたイヴ・サンローラン約200着を思い切って日本服飾文化振興財団に寄贈してしまう。
「思い出の詰まった服だけど、着る機会が少なくなったし、財団の役に立つならそれもありかな!って思ったの」「200着も?今までどれだけ注(つ)ぎ込んだの?」「働いたお金を全部よ」と屈託なく微笑む。
現在は、黒と白を基調としたファッションでシンプルに着こなす。アディダスの黒のキャップに、リーバイスの白のデニムで現われたりする。

ペットロス
彼女はシロちゃんというスピッツを飼っていた。「私ね、シロが横に居て読書している時間が心が一番穏やかなの」と言う。私が愛犬を亡くし酷いペットロスに陥った時、「もう死ぬかなー」と連発してたようで「そんなの死ぬ死ぬ詐欺よ」と彼女特有のジョークを連発した(笑)
「でも麻美ちゃんもペットロスになるかもよ」「どうかなー、自信ないかもね」
案の定、彼女もペットロスに陥った。自分の命より大切に育ててしまう彼女の生来の動物へのテンダネスは、動物愛護活動にも積極的で兎(うさぎ)、猫、犬へと果てしがない。
25年間のブランクから再デビュー
ライフスタイル誌「ku:nel(クウネル)」で再デビューを果たし、次々と誌面を飾る表情は長い人生経験と人生観からくる自信に溢れている。人生の節目節目に潔い覚悟を持てる女性なのだ。人は老いると楽な洋服や歳相応の格好を好みがちだが、彼女は流行や老いに関係なく「心の趣くままに服を着る」と語る。小林麻美を知る世代は彼女と重ねて自身の若い頃の輝きや辛さを懐しむ。彼女を知らない世代は、彼女を観て大人としての自由な表現力の凄さを感じるだろう。「ファッションって、自分を主張する強さと自信を生み出すのかなー、私は個性的に生きたい。だからファッションは、私を私なりに表現してくれるツールなの、体型もデビュー当時と同じなのよ」と語る。

デビュー当時(左)と現在(右)。サイズの変化はゼロ。デビュー時の輝きを保ち続ける。
これからの小林麻美
ある時、思想家・中村天風の本を小脇に抱えて現われた。「時々、これ読み直してるのよ」
およそ彼女に似つかわしくない本だと思っていたが、人生の生き方を説く本だから彼女はこの本で自身の生き方を再確認していたのだ。若さは光陰矢の如しだが、老いていくに連れ、自身の人生観・死生観をしっかり身に付け、その確認をしっかり続けることで人の魅力は増していく。そんな彼女は自分に正直に、ファッションに限らず好きな事を極めながら、品格ある麻布びととして輝き続けるだろう。
(文/鍵谷(かぎたに)芳勝(よしかつ))
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