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更新日:2020年10月5日

麻布地区の地域情報紙(最新号)

 麻布のみどりを探して7. 麻布・六本木を舞う 天空の王者たち

あれは、数年前の1月1日のこと。静けさ漂う元日の朝に、ふと六本木交差点方面を見上げると、寒気つきさす快晴の空を優雅に泳ぐ鷹らしき飛翔のシルエットが!まさか、こんなところに猛禽類!?しかも、初夢の定番「一富士二鷹三茄子」の正夢か。そんな縁起に誘われて、その正体を探ってみると……。

やはり、いた! ヒルズに、いた!

六本木ヒルズ勤務の会社員 景山強(かげやまつよし)さんの情報によれば、「昼休みや早朝出勤の折に、ハヤブサ、チョウゲンボウ、オオタカ、ハイタカ、トビ、ノスリなどを見ます。多くの場合、猛禽類(*1)はたいへん広い行動圏を持っていて、毎日その中を移動して暮らしています。時季にもよりますが、ハヤブサなどは毎日か、2日に一度くらい来ていると思います」という。
景山さんは野鳥観察記録のホームページ(http://www.tsuidenibw.com/index.html(外部サイトへリンク))を約20年前に開設。AZABU(麻布・六本木)上空の鳥たちも、六本木ヒルズ開業の頃より、観察し続けている。「ヒルズ街育プロジェクト」の野鳥観察ツアーでガイドを務めたり、港区の「生物多様性みなとネットワーク」で活動中のバード・ウォッチャーさんなのだ。
また、管理会社の森ビル株式会社によると、害鳥などを追い払うため、鷹匠さんにハリスホークなどを飛ばしてもらうことがあるという。オフィス街で鷹匠さんとは! まさに、知る人ぞ知る AZABUの光景。施設利用者が安全かつ快適に過ごせるよう、メンテナンスに余念がない。

1 猛禽類は、昼行性の鷲類・鷹類・隼(ハヤブサ)類と、夜行性の梟類に分類されてきたが、DNAなどの結果を基に、隼類は「インコ、スズメの仲間」に変更。この記事では「捕食者」として隼類も含んでいる。 

港区生まれ、港区育ちのヒナたちも発見!

次に、白金台にある国立科学博物館附属自然教育園では、2017年頃からオオタカが繁殖を行なっているという情報をキャッチ! そこで、筆者もさっそく、飛んでみた。
「最初の年はヒナが外敵に襲われてしまいましたが、去年、おととしは2羽ずつ生まれ、巣立ちに成功しています。今年はなんと、4羽も誕生し、3羽が無事、巣立ってくれました」
そう語るのは、職員の遠藤拓洋(たくみ)さん。普段は植物の管理を担当されているが、オオタカの営巣(えいそう)を機に、急きょプロジェクトを立ち上げ、園全体で鷹の子育てを見守っている。
番(つがい)が巣材を運び、ヒナが誕生し、巣立つまでの約半年間、周囲は天敵だらけ。特に気をつけたいのが、卵やヒナを狙って執拗に襲ってくるハシブトカラスの集団だ。
園の展示ホールでは、2019年から観察カメラによるライブ中継が可能となり、ヒナが生まれてから幼鳥が巣立つ7月頃まで、パネルや解説ビデオなどとともに繁殖の様子を一般公開している。

里山から大都会へ ~都市化するプレデター(捕食者)~

ハヤブサや鷹の姿は、近年、ロンドンほか世界の大都市でも目撃されている。地方に開発が進み、山が切り崩され、崖が減っていることが背景のひとつにあるようだ。 高低差の気流に乗って効率よく狩りをする彼らにとって、断崖絶壁の高層ビルが立ち並び、緑ゆたかな場所とあらば、絶好の狩場。繁華街をうろつくネズミや小鳥、トカゲやカエル、昆虫など、餌の宝庫なのだろう。
一時(いっとき)は、絶滅が危惧されたオオタカが、例年より倍の数の卵を産んだのは、奇しくも、新型コロナ・パンデミックで世界中が静まり返った外出自粛期間中のことだった。生態系ピラミッドの頂点に立ち、秩序をもたらすプレデターたち。その微妙な変化は、私たちの未来を育むヒントなのかもしれない。 こんな時こそスマホを置いて、大きな空を仰いでみよう。

鷹狩と将軍文化

鷹狩は、古今東西、巨万の富と権力の象徴。鷹の飼育や訓練、獲物についての知識まで、高度な教育と費用がかかるのだ。
かの徳川家康は、無類の鷹狩り好き。その素養を継いだ2代目秀忠、3代目家光。大名たちの間では、将軍家に鷹を献上し拝領を受ける、という忖度、贈答文化が盛んだったらしい。
南麻布4丁目の広尾稲荷神社は、秀忠が鷹狩の際に勧請(かんじょう)した社(やしろ)とのこと。江戸中期になると、この辺り一帯には鷹狩場を伴う将軍家の別荘「麻布御殿」(別名:富士見御殿/白銀御殿)が建てられたが、わずか5年で焼失。明治以降は「麻布富士見町」と命名され、現在の「南麻布富士見町会」は、その名残だという。
元麻布1丁目にある麻布山(あざぶさん)善福寺には、鷹狩の度に家光が訪れ、中腹にある山の茶屋「栖仙亭(せいせんてい)」で昼食をとったという説もある。確かに、1818~44(文政~天保)年頃の浮世絵には、栖仙亭が描かれており、信憑性は高そうだ。

あなたも、<生物多様性みなとネットワーク>に参加しませんか?

港区では、身近な自然や資源を守り、生物多様性に関する自主活動に取り組む個人や団体が、連携・協働できるネットワークをつくりました。登録費用は無料です。詳細は、区のホームページをご覧ください。

●取材協力

国立科学博物館附属 自然教育園 遠藤拓洋さん
港区白金台5-21-5(65歳以上、高校生以下は入園料無料)
Tel:03-3441-7176 http://www.ins.kahaku.go.jp(外部サイトへリンク)

●情報提供

テクノプロ・ホールディングス株式会社勤務 景山強さん
森ビル株式会社 タウンマネジメント事業部

●参考図書

岡崎寛徳『鷹と将軍:徳川社会の贈答システム』講談社 2009年
高円宮久子「レンズを通して:チョウゲンボウ - 変化する人と共存関係」『婦人画報』10月号 2015年
根崎光男『将軍の鷹狩り:同成社江戸時代史叢書』同成社 1999年
ヘレン・マクドナルド著、宇丹貴代実 訳『ハヤブサ:その歴史・文化・生態』白水社 2017年

(取材・文/小池澄枝)

 麻布未来写真館 鼠(ねずみ)坂 〜小さな坂に幾重もの人生レイヤー〜

もう遥か昔の話のようですが今年の2月に件(くだん)のクルーズ船が横浜に停泊してからこの方、未曽有のウィルスの脅威に晒され、ライフスタイルも変貌を余儀なくされる日々。気が付けば今年の干支が何であったかも忘れるようなことになってはいませんか?(かく言う筆者は忘れておりました)今年は鼠年。42号で「牛坂」を出して以来2番目の動物の名前を関する坂を紹介します。

坂名の由来

諸説紛々ながら港区の道標によれば「細長く狭い道を、江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあったといわれる。一名鼬(いたち)坂で、上は植木坂につながる。」とあります。実際に現地に行ってみると鼠坂は鼠坂、鼬坂は鼬坂で各々あるように見えます。昔は一本の坂であったのかもしれない、と思い古い地図を見ると“イタチ坂”のみの表記や“鼡坂(ねずみ)”のみの表記と時代によって区々です。これだけ入り組んでいると、時代によっては解釈が変わってくるのかもしれません。現在の坂は拡幅工事もされ、往時ほど細い道ではないと思われますが、それでも車が通ることはできないくらいの小さな坂です(坂下標高:10.2m 坂上標高:17.5m)。
鼠坂を探るために色々と調べてみると2つの古い地図から面白いことを見つけたので少し紹介します。

松平右近将監

1つ目は「御府内場末往還其外沿革図書 文久2(1862)年」の赤枠部分です。
鼠坂の表記はありませんが、それと思しき場所の左横に「松平右近将監下屋敷」とあります。これは越智松平家8代当主で石見国浜田藩(現在の島根県浜田市)4代藩主 松平武聰(たけあきら)を指していると思われます。彼は徳川家最後の将軍、慶喜の異母弟です。佐幕派として長州征伐に参加するも大村益次郎率いる長州軍に敗退し、飛び地の美作国鶴田(たづた)(現在の岡山県津山市)に逃亡します。辛うじて鶴田藩主となるも、藩兵30名が旧幕府軍に加担したため朝敵と見なされる可能性が浮上します。不幸にも長州征伐時より病床に伏せていたため上京して謝罪をできず家老4名が切腹という厳罰を被ります。その後も病状は回復せず、鶴田藩は全国で唯一廃藩置県までに奉答書への回答ができませんでした。将軍の弟であったが故の悲劇とも言えなくはないのですが明治以降も越智松平家は存続し、後に異色の画家として知られる交楽龍弾(まずらりゅうだん)(昭和10(1935)~平成19(2007)年)を輩出します。風貌も当時としては特異且つ、数奇な人生を歩んでいます。麻布との直接的な関係がないのでここでは触れることを控えますが、ご興味のある方はぜひお調べください。

島津忠寛(ただひろ)

2つ目は「明治関東全図 明治9(1876)年」の赤枠部分です。 ここにも鼠坂の表記はありませんが、「松平右近将監下屋敷」と同じ場所は「島津忠寛」邸となっています。1つ目の地図から14年が経過して持ち主が変わっています。
島津忠寛は日向国佐土原(さどわら)藩(現在の宮崎県宮崎市)11代(最後の)藩主です。戊辰戦争では本家の薩摩藩に従って新政府側(討幕派)として参戦し戦功を挙げます。嫡男の忠亮(ただあきら)は昌平坂学問所で学び、明治2(1869)年に留学のため渡米します。帰国後、明治12(1879)年、初代東京府赤坂区長に任命され、1年間これを務めました。明治21(1888)年、香蘭女学校開校にあたり屋敷の一部を貸与しました(※現在の香蘭女学校 中学校・高等学校は品川区旗の台6丁目にあります)。蛇足ですが、江戸時代の佐土原藩の上屋敷は芝三田綱町にありました。現在の綱町三井倶楽部にあたります。明治11(1878)年に当時の三井組(三井銀行)に売却しました。島津忠寛はここで生まれています。


鼠は小さいけれど沢山います。鼠坂は各地に存在しています。麻布の鼠坂も小さいですが、そこには数えきれない位の人生、エピソードが重なり合っています。人生レイヤーの多層構造が小さな坂をとても大きなものに“魅せて”くれます。外出するにも多くの守らなければならない制約のある昨今ですが、パソコンを駆使してのリモート散歩も悪くないと思います。
「最大限の創意工夫で最小限の工夫」を願ってやみません。

●参考文献

増補 港区近代沿革図集 麻布・六本木 港区立港郷土資料館(平成22(2010)年3月31日発行)

「麻布未来写真館」とは

港区麻布地区総合支所では、地域への共感や愛着を深めていただくため、麻布地区の歴史やまちの移り変わりを記録、保存、継承する活動を行っています。
麻布地区の定点写真の撮影、昔の写真の収集等については、港区在住、在勤、在学者で構成された区民参画組織「麻布を語る会 麻布未来写真館分科会」が主体となって活動しています。まちの歴史や文化を多くの方々に知っていただけるよう収集した写真をパネルとして港区ホームページや展示会で紹介していますのでぜひご覧ください。

「麻布未来写真館」では、古い写真を探しています!

明治から昭和にかけての麻布地区の建物や風景、お祭りなどの写真を募集しています。詳しくは、港区麻布地区総合支所 協働推進課 地区政策担当までご連絡ください。
お問合せ 電話:03-5114-8812

(取材・文/田中康寛)

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