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更新日:2023年12月22日

第2回事前研修

 福竜丸展示館
 令和5年7月1日(土曜)に東京都立第五福竜丸展示館にて、第2回事前研修を実施しました。
 研修では、第五福竜丸()に関するワークショップや館内見学を行いました。

 ※1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被爆した静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。

日時

令和5年7月1日(土曜)午後2時から5時まで

会場

東京都立第五福竜丸展示館(東京都江東区夢の島2-1-1 夢の島公園内)

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研修内容

第五福竜丸に関するワークショップ

 第五福竜丸はどのように被爆したのか、被爆した船員達はどのような思いで生活していたのかを、船員手記の朗読等を通して学びました。

 第2回事前研修1 第2回事前研修
 

館内見学

 当時の様子が分かる、パネルや資料を見て団員一人ひとりが、色々なことを考えました。

第2回事前研修3  第2回事前研修4                   

研修レポート

館内見学(ワークショップ)をして、特に印象に残ったこと

・教科書でしか触れたことのなかった第五福竜丸ビキニ被災事件は、私の想像を遥かに超える悲惨な事件でした。
 展示や学芸員の方のお話を通して被害実態や被災者の方の思いを知り、自分が知っていると思っていたことは表面上のほんの一部にしか過ぎなかったのだと実感しました。
 その後のワークショップではメンバーと感想を伝えあった中で、話に多く上がっていた教科書に載っている情報について話し合い、教科書が全てだと思わず、自ら進んで調べたり、様々な場所を訪ねて学んでいったりすることの重要性を再確認できたことが印象に残っています。

 

・この研修で一番記憶に残っているのは、私たちと一緒にお話を聞いていた外国人の方と学芸員の方が、お互いの意見を述べあっていたことです。
 外国人の方は「過去の事実だけを高校生に教えても意味がない」「日本が過去の反省を生かさないで軍事大国になってしまっている」などと主張していました。また、核弾頭の保有や、核実験の実施といった根拠の明確でない事も訴えていました。学芸員の方は、だからこそ過去の事実を学び知る事が大切なのだと丁寧に説明していました。
 現在、私達の周りには情報があふれています。議論するためには、正しい情報を取捨選択し、理解する必要があると感じました。
 今回の平和青年団の研修を通して、多くの知識を身につけ、自らも積極的に本やニュースなどから正確な情報を得ていきたいです。

 

・私は被爆者の方がビデオでお話されていた、「被爆した船の展示をやめて欲しかった」という言葉が印象に残っています。
 それには、被害者であるはずが政府と国民の板挟みとなり、精神的な攻撃まで受けた背景があったと知りました。その怖さから、水爆被害の証拠ごと消して欲しかったそうです。
 今回、水爆実験者、被害者の方、その方達を心配する子どもなど様々な立場の言葉を音読し、あらゆる角度から事実を見ることでその裏に隠れた想いに気が付くことが出来ました。
 当時の方が遺して下さった生の言葉と負の遺産を照らし合わせながら、事実を継承していこうと思います。

 

・被爆した人の残した文章をみんなで読んだときに、被爆したこと以外についての辛かったことについて知りました。
 それは、国からお見舞金をもらったことに対する批判などでした。
 応援してくれた人もいたけど、同じ被害者なのに関係が悪くなるのは悲しく思いました。
 それ以外にも、世間からの批判で二次被害、三次被害、と被害が続きました。
 戦争は、国同士の争いのはずなのに、支えあうべき人と人が攻撃してしまうのも環境が生んだ結果なのだろうと感じました。

 

・私が印象に残ったことは、原爆で被害に遭われた後も、差別、食糧不足、誹謗中傷を受けていたことがとても印象的です。
 私はこの事実を知る前までは、原水爆事件について起こったことを教科書で知ることができませんでした。
 また、ワークショップを行った時、実際私自身は被害者ではありませんが、証言者の言葉を音読するとその人の心情を感じて理解することができ、更に悲惨な出来事だと感じます。
 現在、被爆者の証言者が減少してきていると聞いて、私は証言者になることはできませんが、語り部の1人として悲惨な出来事を忘れてはいけないと思います。

 

・漁師の方々が第五福竜丸ビキニ被災事件の記憶を思い出しながら話すのはとてもつらいことだと思いますが、私たちにもう二度と同じことを繰り返さないでほしいという思いのおかげで、今多くの証言が残されています。
 ワークショップではそのような証言を音読することで、被爆者の気持ちが自分の心に深く刻まれました。
 そして、当時の何も知らずに原水爆の被害にあった人の困惑とその後の精神的、身体的な苦痛を実感しました。

 

・館内見学を通し、私の印象に残ったことは日本以外の影響でした。
 原爆の核実験と考えると日本と関連づけやすくなる他の国への影響をあまり考える事がありませんでした。
 しかし、実際ビキニ環礁付近に住むマーシャル諸島の人々にも深く繋がるトピックであり、核実験者達から残酷な対応を受けていました。
 その中でも最も私が驚いたのはプロジェクト4.1についてでした。プロジェクト4.1は被爆者たちの症状を治療するのではなく放射能の人間への影響を調査するために観察のみするという酷いプロジェクトでした。
 日本の原爆後にあれほどの人たちが苦しみ、亡くなったという事実を知っていながらもまだこのような実験を繰り返す人間の貪欲な好奇心を感じました。

第五福竜丸ビキニ被災事件について

・学芸員のスピーチにより、第五福竜丸ビキニ被災事件はアメリカ政府が補償金を日本政府に支払うことで、事件が幕引きされたことを知りました。
 現在の中学校の歴史教科書では、第五福竜丸ビキニ被災事件は水爆実験と第五福竜丸の写真とともに紹介されています。一方で、その記述は表面的・選択的です。
 また、マーシャル島では、独自の教科書を導入する運動が行われていることも知りました。つまり、現在はアメリカ本土の教科書が使われているため、マーシャルの歴史に関する記述が限られています。
 これらのように、歴史教科書の限界を再評価することができました。

 

・今回、第五福竜丸の事件について展示を見て回ったり、説明を聞いたりして、農水産業や船員への差別など、想像していたよりも世間に大きな影響を与えていたことに驚きました。  
 私は、久保山さんが亡くなった後に届いた小学二年生からの手紙が特に印象に残りました。自分だったらそのようには行動できないだろうと思います。
 この事件は、核廃絶運動のきっかけの一つとなった大事な出来事だと思います。自分から興味を持って学ぶべきことだと感じました。

 

・第五福竜丸ビキニ被災事件については、教科書に、第五福竜丸の小さな写真と60文字以下の文しか載っていなく詳しい内容は知りませんでした。
 今回の館内見学で、被害者の心情や当時の日常生活の様子など、残された資料から知ることができ、情報が届かないことで不安な気持ちを日々抱えていたのだろうと思いました。
 また、タイムリーに正確な情報が得られる権利を誰しもがあるべきだということを改めて感じました。
 ウクライナ紛争においても、国民が適切な情報を得ていることを願っています。

原爆とは、原水爆実験について

・日本の第五福竜丸事件に関わらず、世界各国で原水爆の実験により後遺症や被害を受けた人々がいると知り、とても驚きました。
 これらの人は「たまたま」居合わせたわけではなく、彼らが少数民族であり、彼らが差別の対象であるマイノリティであるからこそ、原水爆の実験を行っていた国々は、彼らが甚大な被害を被ることを知っていながらも彼らの存在を無視したのではないかと思います。また、冷戦時代が故に、軍拡が盛んな時期であったためとも思います。
 原水爆の被害は、広島や長崎の原爆で亡くなられた方のことを伝えるとともに、このような世間で知られていない原水爆の被害者もいることを後世に伝えることが大切であると知りました。

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