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更新日:2023年12月22日

第3回事前研修

 第3会事前研修1 

 令和5年7月15日(土曜)に「昭和館」及び「しょうけい館」にて、第3回事前研修を実施しました。

日時

 令和5年7月15日(土曜)午後2時から5時まで

会場

研修内容

昭和館

 戦中・戦後の国民生活における現物資料等を見学しました。団員一人ひとりが展示物の見学や、昭和館の職員の方のお話に夢中でした。

  第3回事前研修2 第3回事前研修4
          

しょうけい館

 戦傷病者とその家族が戦中・戦後に体験したさまざまな労苦についての証言や歴史的資料を見学しました。
 「野戦病院」のジオラマ等も見学することができました。

 第3回事前研修3   第3回事前研修4

研修レポート

昭和館内展示を見学して、印象的だったこと

・今回の研修で初めて昭和館を訪れました。
 特に印象に残ったことが2点あります。
 まず1点は、1939年当時の七五三の子どもの写真です。子どもたちが着ていた服装が、現在の七五三で着るような着物、袴、ドレス、スーツ、ではなく、当時の男の子は、軍服、女の子は白衣を着させられていました。戦時中に七五三を迎えた子どもたちは軍服、白衣を着せられて嬉しかったでしょうか。あるいは、誇りに思ったのでしょうか。戦時中、弱い立場の子どものことをこの写真で色々考えさせられました。
 そして、2点目は、被災者の声が印象に残る大きな文字で、展示されていたことで、音声情報がわからない私にとって、視覚情報は響きやすかったです。「戦争は人災 平和の敵です。」、「どうして戦争をするの? 国境のない平和な世界になったらいいのにね。」、「戦争は人格や人の運命 寿命を変えてしまいます。」、「人々が平和を愛し人類を愛し芸術を愛せる世界に。」のような生きた一声一声が文字化されて展示されており、ますます、戦争の悲惨さ、戦争のない平和な世界への祈りが伝わってきました。

しょうけい館を見学して、気づいたこと、考えたこと、感じたこと

・「生きる・・・それは死ぬよりつらかった」
 私はこの言葉が心に刺さり、忘れることができませんでした。
 戦傷病者の方々は戦争で死んでしまったほうが楽だったのでは…という思いと、死んでいった仲間やともに暮らす家族への思いとの間で葛藤しながら生きてこられたのではないかと思います。
 展示は心が苦しくつらい内容ですが、戦争や平和を考え学ぶにあたって目を背けてはならないことだと感じました。
 戦争中もその後も様々な苦しみを抱えながらも懸命に生きてこられた方々がいらっしゃることを忘れず、平和な日常を過ごせていることに感謝しながら生きていきたいと強く思いました。

 

・「手術はいいからうまい水が欲しい」と戦争で負傷した兵が軍医に向かって叫んだとしょうけい館の壁に書いてありました。
 水をたっぷり飲んだ後、負傷した兵はすぐに死にました。
 これにより、「娯楽」と「命」の選択を考えさせられました。
 つまり、戦時中は無力感により、判断力が麻痺することがあります。
 また、戦時中は慰安婦などどのようにメンタリティを保っていたのかも気になりました。

 

・いかに当時、物資が枯渇していて厳しい中、祖国のために国民や兵隊などが戦っていたのかどうかをしょうけい館と昭和館を訪れて思い知りました。
 野戦病院では兵士たちは毎回病気にかかり、物資も行き通らずにただじっと自分が死ぬのを待たないといけない絶望感や恐怖、やりきれなさなどがジオラマを通して伝わりました。
 そして、もう2度と戦争を繰り返してはならないということも感じました。

 

・しょうけい館ではけがを負った人の話がたくさん残されていました。
 どれも痛々しくて、読むとその情景が広がり、そのたびに私の身体も同じところに痛みを感じました。
 戦場で、私が想像する以上の痛みを感じていた兵士の皆さんが、治療の痛みにも耐えることができたのは、仲間がそこにいたからだと感じました。
 仲間がけがをして、麻酔のない治療を受けさせるのも苦しく、辛いものに違いありません。みんなが痛みを持っていた中、耐え抜きました。

 

・しょうけい館展示を見学して、義足や義眼、体験者の証言、どのような人生を歩んだのかなどの戦争体験者の苦労を知りました。
 今は基本的に教科書で戦争知識を得ることしか出来ませんが、実際に戦争中に使われていた道具や、義足、資料を見た時に絶対にこのような同じ出来事を繰り返してはいけないとより感じさせられます。
 しょうけい館見学を通して戦争が起きた事柄を勉強するだけではなく、日本の歴史を学ぶ私たちだからこそ実際のものを見て肌で感じることが平和を築いていく上で、大切だと考えました。

しょうけい館内展示を見学して、印象的だったこと

・しょうけい館では従事看護婦や戦傷病者、戦場での苦しみについて学びました。
 展示の中で特に衝撃だったのは、戦地で飛び散った手足と胴体を集めて十一名半できた、という証言です。戦争の中では想像もできないような凄惨なことが起きていたのを実感しました。
 また、摘出弾や銃弾が貫通した眼鏡、血で汚れた日章旗、野戦病院のジオラマなど、多くのものからその悲惨さが伝わりました。
死んでも生き残っても苦しむのが戦争なのだと思いました。

 

・一番印象に残っているのはしょうけい館の戦時中の医療状況を忠実に再現していた人形たちです。
 あのグロテスクな造形は戦争がいかに恐ろしいものかを再確認させ、また、音声で当時の状況体験を説明することで、私たちを彼らの世界に引き込ませました。
 戦争がいかに無残に人の命を奪ってきたか、それを後世に伝える場所としてしょうけい館はとても素晴らしいものだと感じました。

 

・企画展示されていた、戦傷者を支えた女性についてが、印象的でした。
 傷を負い体が満足に動かない男性に嫁ぐことは美しいというどこか偽善に感じられるスローガンの一方で、戦って帰還した事に敬意を払い、男性に代わって社会に出ようとする女性たちがいたことを知りました。
 当時偏見を持たれながらも、自ら働いて家族を支えた女性たちの強い意志があったからこそ、今の女性の社会進出のきっかけとなったのではないかと思いました。

 

・しょうけい館を訪れて印象的だったのは戦傷病者の証言です。
 不自由な戦場での生活や戦後の偏見を持った人からの冷たい視線を受けたという証言を見て、戦傷病者は身体的な労苦のみならず、癒えることのない心の傷も抱えながら生き抜いてきたのだと感じました。
 私たちはこのような恐ろしい経験をすることはないですが、かつてあった戦争をなかったことにせず、過去のものではなく現在につながることとして考えていかなければならないと思います。

 

・しょうけい館は私たちが今までであまり触れてこなかった戦争の残酷で生々しい側面を学ばせてくれました。
 やはり私が一番衝撃を受けたのは2階の入り口付近に展示されていた当時の兵隊の方々が着用していたブーツや帽子、眼鏡でした。時が止まったように戦時中の負傷が残っている衣服などを見ると、戦争の現実味をより一層感じました。
 衝撃的すぎて物語かのように聞いてしまう事がある戦時中の話ですが、戦争を通ってきた実物を前にすると同じ話でも以前のようにスッと飲み込めなくなりました。
 野戦病院のジオラマを目にした時も同じような衝撃を受けました。必死に戦ってきた兵士を助けたくても助けられない状況に置かれた衛生兵や軍医の心苦しさ、そして苦しい状況で我慢することしかできなかった兵士の辛さを感じ、とても印象に残りました。

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