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更新日:2023年12月22日

第1回事前研修

 第1回事前研修1

 第1回事前研修では、「令和4年度港区平和青年団修了生」、港区語り部の会」との交流会を行いました。

日時

 令和5年度6月24日(土曜) 午後2時から午後5時

会場

 港区役所9階911、912会議室

内容

令和4年度港区平和青年団修了生との交流

 令和4年度港区平和青年団修了生との交流を通して、青年団として何を学べるか再確認できました。

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港区語り部の会との交流

 語り部の会の方々のお話を聞いたことによって、過去の戦争体験について知ることができました。

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研修レポート

平和青年団としてこれから学んでいきたいこと

・平和な世の中に生まれた私たちは、平和を深く考えたり、体感したりすることはほとんどありません。
 私は平和青年団で様々な人々との交流を通じ、沢山の価値観に触れながら戦争と平和を考え、戦争を知らない世代が平和学習を行う意義とは何なのか、自分の中で答えを導き出せるよう、学びを深めていきたいです。

 

・平和青年団では、日本視点から原爆投下を学び、その日本の「平和」意識に対する影響を評価したいです。言い換えると、今まで公文書などアメリカの視点から原爆を勉強してきました。
 また、ソビエトの威嚇などインターナショナルなコンテクストでのインパクトを理解しました。
 反対に、今回の平和青年団では、一次資料、視覚的資料、現地調査から原爆の歴史とその現在の若者への影響を学べると認識しています。

 

・今回令和4年度平和青年団修了生に「生の声を聞くこと」と教わりました。
 この平和青年団の活動は、インターネットで得る文字ではなく、人の思いを受け取るものだと再認識しました。
 私は、これから話した人の気持ちを学び、自分自身でも深く考えていきたいです。

 

・第一回の研修で港区語り部の会のみなさんから戦時中の貴重な体験を直接聞いて理解を深めたように、これからの第五福竜丸の展示や 長崎に実際に足を運ぶことで、「戦争」の記憶を直に体験し、平和とは何か、平和を達成するには何をしたらいいのかを理解していきた
いです。

 

・平和青年団の活動が始まり、過去を学び今に反映させたいという想いがより強くなりました。
 過去は変えられないからこそ、2度と同じ過ちを犯さない為に私達の未来をどう考えていくかという考えを深めていきたいたいです。

 

・私は平和青年団としてこれから知られていない戦争の事実について学びたいと思っています。
 我々の世代は戦争の実態について生で聞ける最後の世代であり、戦争を経験された方の記憶や意志を最後に引き継げる人です。
 自分のためのみならず、平和の大切さを宣伝するためにも記憶を受け継ぐこと、すなわち戦争の悲惨さについて懸命に学びたいです。

 

・私は、平和青年団として戦争中の辛かったことや大変だったこと、苦しかったことだけでなく、日々の心の支えや楽しかったことなど、その時代を生きた方々の「リアル」を感じて、学んでいきたいと思います。

 

・「平和を祈るだけでは平和は訪れない。」と聞き共感しました。そして、世界中で平和な国がもっと増えていくためには、どのような考えや行動が必要かを学んでいきたいと考えています。

 

・今回の活動で東京での戦争体験を知ることができたので、この活動を重ねて他の所でも起こった戦争のことを知り更に知識を深めていきたいです。
 また、今年の活動人数は去年よりも多く、様々な価値観や意見を知ることができる貴重な機会ですのでグループとの仲も深めていき、より多くの学びに繋げていきたいです。

 

・今回の戦争体験者の方々の話を直接聞く機会を持ち、戦争をより身近なものとして感じました。
 戦争が私たちの日常をどのように奪ってしまうのか、昔話ではなく今後起こり得ることとして考え、学んでいきたいです。

 

・私はこれから平和青年団を通し、現在と過去を照らし合わせ、違いや共通点に注目しながら戦時中の状況や体験者の思いを学びたいです。
 これらに注目することで、戦争の今もなお続いている長期的な影響を把握し、「戦争はまだ終わっていない。」ということを同世代に伝えられるようになりたいです。

 

「港区語り部の会」との交流会を通じて、考えたこと・感じたこと

・語り部の方々のお話は教科書やインターネットの文章とは異なり、「生きている言葉」とはまさにこのことだと強く感じるほど、一つ一つに重みがありました。
 生の声を聞くことの重要性を実感したことで、戦争を経験した人が少なくなっていることへの危機感が自分の中で大きくなり、未来を担う世代へ語り部の方のお言葉を伝えていきたいと思いました。
 また、お話にあった「戦争慣れ」「つらくても戦争だから仕方ないと受け入れていた」という言葉に、異常事態を当たり前の日常にしてしまう戦争の恐ろしさを改めて感じました。

 

・「港区語り部の会」を通して、自分の原爆に対する認識と当事者の体験は合致していないことが多いことを学びました。例えば、元々戦争体験者はアメリカを恨んでいると思っています。しかし、それを戦争体験者に質問すると、戦時中は「鬼畜米英」と教育されていたが、終戦後に中学校、高校で第二次世界大戦の歴史を学習するとアメリカは民主主義的な国家だと感じるようになったと言っていました。
 また、戦争体験者から一国の情報だけを頼りにすることの危険性を感じ、多文化主義に目覚めた人もいました。彼女は、終戦後、孫をニューヨークの大学に通わせたといいます。
 このように、現代に溢れる原爆に関する情報の限界とオーラルヒストリーの可能性を評価することができました。

 

・交流をして、心に残ったことの一つは、読んでいただいた紙芝居です。絵と文章を自分たちで作ったとおっしゃっていました。長年使われた絵も、台詞の迫力も気持ちがこもっているのが、伝わりました。
 また、質問の回答では、教科書には無い、小学校の話や、置かれた環境のことも話されていました。
 疎開先で、比較的安全な中でも、苦しい生活だったことがよくわかりました。
 初回の活動でしたが、話すことでしか学べないことを体験できたと思います。

 

・戦争の体験を直に聞くことで、戦争の悲惨さを改めて考えさせられました。
 育ち盛りの子どもでも食事は粗末なものだけ、そして、当時の衛生状況はひどくシラミを持っているのが当たり前だったと言います。
 また、池田さんが当時実際に親宛に書いたハガキを読み、戦争がいかにして子ども達の生活を奪っていったのかを知ることができました。
 疎開先でいじめにあったり、親と離れ離れになったりして、彼の心は傷だらけだったのです。

 

・語り部の会のお話を聞く中で一番強い衝撃を受けたのが、皆さん口を揃えて仰っていた「日本は勝つと信じていた」という言葉です。この戦争は正しいと当時の人達に信じて疑わせなかった支配力が、人間の真の恐ろしさだと感じました。
 現代でも、数多の情報の中で知らず知らずのうちに思い込んでいることがあるかも知れないと、新たな視点を与えて頂いた機会でもありました。
 世界を知ることが自分を守るのだと強く伝えて下さった為、常に疑問を持って過ごしたいと思いました。

 

・語り部の会の方々が戦争に遭われた時には幼い子どもでありましたが、鮮明に戦争のことを覚えていてとても驚きました。それだけであの頃が「非日常的」で異常だったというふうに実感しました。そしていかに今の世の中が平和であり、豊かな社会に生きていると実感しました。
 食料や物資不足、本当に先人の方々は苦労したと感じました。その方々が苦境にありながらも血が滲むような努力で日本が発展したと考えるととても感謝しきれないというふうに思いました。
 今後とも先人の苦労や努力について学んでいきたいと思います。

 

・港区語り部の会の皆さんとの交流を通じて、当時、子どもだった皆さんが思っていたことを知りました。
例えば、集団疎開を遠足のように感じたり、遊ぶものがない中で、自然の中で遊ぶことに全力になるなど、大人とは違う目線の子どもならではの感情を知ることができました。
 戦争になって大変なことが多くなっても、自分がおかれた状況でどうにか生きていく、精神的にも生き抜くのは子どものほうが得意なのではないかと感じました。

 

・戦争体験者から当時の話が聞ける貴重な機会でした。これまで活字でしか「戦争」について学べなかったので一言一句が心に残りました。
 特に考えさせられたのは、「子どもの頃から戦争があったから、戦争の無い生活を知らなかった。」、「戦争中は、少ない量でも配給があったが、終戦後は食べ物がなくて苦労した。でも、今の日本は食べ物が溢れていて天国だ。」、「疎開中、家族に会えなくて寂しかった。一番の幸せは家族と一緒に暮らせること。」です。
 私たちは戦争を知らない世代でもあります。このように、交流できるのは、ありがたいです。

 

・語り部の会の方々の話を聞いて改めて戦争という悲惨さを感じました。そして、当時の雰囲気や、当事者の方々の心情などを丁寧に私たちに教えてくださいました。
 私が印象に残っているのは疎開している中、唯一家族との連絡ができた手紙のことです。当時やりとりしていた時の手紙を見て、宿舎の様子や家族の健康面を気遣う手紙を見ました。そこで、衝撃的だったのが手紙の内容によって送りたい相手に届かない手紙もあると知ったことです。
 また、戦争により焼き果ててしまった土地を復興しようと地域住民が協力したというお話も印象的でした。

 

・港区語り部の会の方々が、「戦時中は特高警察の思想や言論統制で戦争に対して否定的な意見がなかった」、「今のように毎日食事ができるのは夢のまた夢だった」と話すのを聞いて、今多くの人たちが自分の意見を発することができたり、何不自由なく1日3食しっかり食べられたり、生活するのは当たり前のことではないことではないと改めて感じました。
 そして、戦争体験者の方々の話を聞けるのは私たちの世代が最後かもしれないので、その体験を多くの人に伝えたいです。

 

・私が一番印象に残った事は、戦争を前にした「個人」の無力さです。
 語り部のみなさんは戦時中まだ小学生だったのにも関わらず、この無力さを心のどこかで察し、日頃の楽しみを作り、意図的でなくても、この避けられない事実からなるべく遠ざかろうとしていたのを感じました。
 また、まさか負けるとなど考えたこともなかった、とみなさんが揃って口にしているのを聞き、メディアが持つ力についても再び思い知らされました。
 ラジオや新聞は現在のメディア形態とは異なりますが、持つ役割はやはり同じで、人々の意識を都合よく操るものだと考えました。

 

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