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現在のページ:トップページ > 区政情報 > 区の概要 > 港区の地名の歴史 > 溜池(ためいけ)

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更新日:2012年3月30日

溜池(ためいけ)

虎ノ門にある石垣は今も見られますが、そこから西北へ、赤坂見附まで広がっていた大きな堀であった溜池をしのぶよすがは、物の形としては何も残っていません。何年か前までは、名残の暗渠をのぞくと水流が見える仕掛けが山王神社の下の鳥居のそばにあったのですが、もうそれもなくなりました。

池の跡にできた「溜池町」という町名も、住居表示としてはなくなったのですが、高速道路の下の交差点名と、バス停の名前に残っています。歴史的には、江戸時代より前から自然の池だったように描かれた図などもありますが、これは誤りです。

溜池はその名のとおり、人が水を溜めてつくったもので、慶長11年(1606)ごろできました。大名の浅野幸長(よしなが)(当時和歌山藩のち広島藩主)が家康にとりいって、江戸城防備の外堀の一環とするとともに、飲料用の上水ダムとしてつくった人口の湖なのです。今の不忍池以上の大きさがありました。

溜池は、水質もよく、風景も美しく、浮世絵などによく描かれました。琵琶湖や淀川からわざわざ鯉や鮒を取り寄せて放したという話もあり、蓮を植えてその花を鑑賞し蓮根を採取したといいます。

やがて周囲がだんだん埋め立てられて、町屋や馬場・紺屋物干場などができ、水質も悪くなったようで、明治7、8年ごろ堰堤(えんてい)となっていた石を取り除いてから陸化しはじめ、渡し舟ができ橋をかけて、明治21年に赤坂溜池町ができました。今では名残の溝川(どぶがわ)も失われて、住居表示の赤坂となりました。

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