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更新日:2026年11月1日

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12月4日から12月10日は人権週間です

人権とは、誰もが生まれながらに持っている、人間が人間らしく生きていくための権利であり、人類が歴史の中で築いてきた財産です。

人権について考えるとは、どういうこと?

オメラスという街は美しく、そこでの人びとの暮らしは幸せに満ちている。しかし、その幸福は街の中にある地下の穴蔵に囚われた一人の子どもの存在に負っている。性別さえ定かでないほど汚れてしまった子どもは狭苦しく劣悪な環境に置かれ、その子に優しい言葉をかけることさえ禁止されている。

なぜかは分からないが、この一人の子どもの不幸によって、オメラスの繁栄と幸福は担保されている。そこに住む人びとは、一定の年齢になると、この子どもの存在について説明され、ひとによっては子どもが囚われている穴蔵を実際に訪れ酷いショックを受けたりする。

多くの人びとは、子どもの存在を知ってしばらくの間は思い悩むが、時間の経過とともに、繁栄の引き替えとしての子どもの存在に折り合いをつけてゆくことになるのだった。

しかし、この事実について考え抜いた一部の人びとは、ある日、自発的に独りで歩み出し、街を出てゆく。彼らは、どこに行くべきかを心得ているらしい。

これはSF作家アーシュラ・K・ル・グィンの短編小説「オメラスから歩み去る人々」のあらすじだが、私の専門である法哲学の観点からは、「権利(人権)と功利のあいだ」を鮮明に描き出している作品だと言えるだろう。

「誰か一人の犠牲=不幸の上に成り立つ偽りの幸福=楽園を受け入れず、そこから自らの足で立ち去る」というテーマは、功利(快苦)計算による全体厚生の最大化を企図する功利主義と、たった一人のものであってもそれを守り抜こうとする「人権」観念との間の相克を描き出しているといって差し支えないだろう。

このような物語のモチーフは古今東西に存在し続け、われわれ人類の心をとらえ続けてきた。最近のマンガやアニメなどにもそれは受け継がれている。『魔法少女まどか☆マギカ』や『ぼくらの』など。

われわれのまわりに、このオメラスの子どものような存在は居ないだろうか。もしオメラスの子どものような存在について知ってしまった時、自分ならどうするだろうか。そして、オメラスを立ち去るのなら、どこへと向かうのだろうか。「人権」について考えるというのは、そういうものだろうと思う。

寄稿者 谷口 功一

1973年、大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。東京都立大学法学部教授、同法学部長。専門は法哲学。著書に「ショッピングモールの法哲学」、「立法者・性・文明」、「日本の夜の公共圏―スナック研究序説」等(いずれも白水社刊)。

問い合わせ

  • 総務課人権・男女平等参画係
    電話:03-3578-2027

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