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更新日:2016年3月2日

みなとアーカイブ 浮世絵でみる今昔06 虎ノ門

歌川広重(初代)「名所江戸百景 虎ノ門外あふひ坂」 安政4年(1857年)11月(港郷土資料館蔵)
画中左側が葵坂。中央の流れ落ちる水は通称「どんどん」と呼ばれていた洗堰(あらいぜき)です。画面左側の壁は松平肥前守(佐賀藩鍋島家)の屋敷です。そばの屋台が出る月夜の風景、手前の人物が持つ提灯には今もある金刀比羅神社「金比羅大権現」の文字が見えます。

虎ノ門病院から特許庁へ抜ける道のあたりに江戸時代、葵坂という名高い坂がありました。長さは24間(約40メートル)、幅は6間4尺(約12メートル)。松平肥前守(佐賀藩鍋島家)の屋敷とお堀を両側に控えて上り、坂の上はタチアオイの花が咲いていたことから「葵が岡」と呼ばれていました。坂の北側には溜池から流れ出る水の落ち口があり、どうどうと音をたてていたことから「どんどん」と呼ばれていました。溜池の埋め立て時、葵が岡の土が削られるとともに葵坂の姿は消え、現在は浮世絵にその面影をとどめています。

明治5年(1872年)、この一帯の武家地が合併され、葵坂にちなんで溜池葵町という町名が付けられました。町の東南辺をまわる坂は、江戸の町を見渡せたことから江戸見坂と呼ばれ、町の中央には、海が見えたことがその名の由来といわれる汐見坂が東西に通っていました。両坂は現在も残っています。

  • この情報は、平成21年(2009年)10月1日号の広報みなとに掲載されました。現在と異なる場合がありますので、ご了承ください。

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