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更新日:2016年3月2日

みなとアーカイブ 浮世絵でみる今昔09 高輪牛町

 

歌川広重 二代「東都三十六景高輪海岸」 文久2(1862)年(港郷土資料館蔵)
手前に牛車をひく牛を配置し、奥に帆掛け船が浮かぶ江戸湾の様子を大胆な構図で描いています。左奥には台場も見えます。

高輪二丁目の地下鉄泉岳寺駅周辺は、昔は芝車町と言い、牛小屋が多数あったことから俗に「牛町」と呼ばれていました。

江戸城の増築や寺社など大きな土木工事には、巨大な石や木材などの運搬のために牛車が使われていました。寛永11(1634)年、増上寺安国殿の建築の際、京都から当時の運送業者にあたる牛持ちが江戸に呼び寄せられました。牛持ちたちは、徳川三代将軍・家光の意向もあって、高輪の地に四町ほどの土地が与えられ、町名を芝車町としました。当時、穏やかな気質で力量の優れた品種の牛が、多い時には約600頭も飼育されたそうです。高輪大木戸から港区南端の八ツ山下まで十八丁あったことから、子どもたちの間ではいつからか「高輪牛町十八丁、牛の小便長いネー」というざれ歌が歌われるようになりました。

  • この情報は、平成22年(2010年)3月1日号の広報みなとに掲載されました。現在と異なる場合がありますので、ご了承ください。

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