更新日:2025年8月5日
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高輪地区の地域情報紙(最新号)
街が変わる 時を超えて、茶の湯の心と出逢う「荏原(えばら)畠山美術館」
約4年半の改修を経て、装いも新たに再始動
樹齢300年の古木がお出迎え 建築と自然が織りなす静寂の美術館
都営浅草線高輪台駅の改札を出て、住宅街の静かな道を歩くこと5分。門をくぐると樹齢300年を超える古木に静かに迎えられ、落ち着いた雰囲気に包み込まれます。白金台二丁目の一角にたたずむ「荏原 畠山美術館」は、茶道具を中心とした日本・中国・朝鮮の古美術品約1,300点を誇る日本有数の私立美術館です。
昭和39(1964)年の開館から60年の歴史を重ね、令和6(2024)年10月に大規模改修を終えて再開館。今回は、館長・岡部昌幸さん、学芸課長・水田至摩子さんに、展示作品の魅力についてお話を伺いました。
実業家・畠山一清(いっせい)が託した茶の湯の心 創設者の想いが息づく空間
この美術館を語る上で欠かせないのが、創設者・畠山一清氏(1881-1971)の存在です。世界的ポンプメーカー・荏原製作所の創業者である同氏は、実業家でありながら、能楽や茶道、美術に造詣(ぞうけい)が深く、生涯にわたり古美術の蒐集(しゅうしゅう)に情熱を注ぎました。
茶の湯の精神を深く理解し、「即翁(そくおう)」の号を持つ畠山氏が自ら設計に関わった美術館は、日本建築の意匠を大切にした格調あるたたずまいで静かな威厳を放っています。館内には氏が使用した5つの茶室(港区指定文化財)が現存し、茶の湯の文化を広める美術館として、その精神が受け継がれています。
国宝6件、重要文化財33件の珠玉のコレクション茶の湯の美を今に伝える名品の数々
館内で最も注目すべきは、国宝6件、重要文化財33件を含む珠玉のコレクションです。特に江戸後期の名茶人・松平不昧(不昧公(ふまいこう))ゆかりの茶道具は必見の逸品といえます。
取材時(令和7年5月)の展覧会では、落語『井戸の茶碗』のモデルとされる「井戸茶碗 銘細川」(16世紀・重要文化財)や「唐物肩衝茶入 銘 油屋」(13世紀・重要文化財)などが展示されていました。特に「油屋茶入」は豊臣秀吉から不昧公に渡ったとされる茶入で、茶入の最高峰と評価されており、一見の価値があります。これらの名品は茶の湯の精神性や歴史的背景とともに紹介され、実際に間近で見ると、その歴史の重みを肌で感じることができます。
4年半の大改修で新たな展示空間 歴史と現代が美しく融合した美の世界
令和6(2024)年10月、約4年半の大規模改修を経て美術館の装いが新たになりました。展示面積は従来の3倍に拡張され、現代の技術と伝統の美が融合した新たな姿で再スタートを切っています。
新設された新館の外壁には、日本の伝統建築に見られる「なまこ壁」(漆喰と瓦を組み合わせた意匠)が採用され、周囲の庭園との調和が美しく、歴史と現代が自然に融合した空間を演出しています。
展示室で特に印象的だったのは、自然光を巧みに取り入れた設計です。取材で訪れた午後の時間帯には、斜光が作り出す陰影の美しさが作品に独特の表情を与えており、時間帯によって異なる鑑賞体験ができそうです。また作品保護のためのガラスケースには特殊な処理が施され、茶道具をまるで手で触れられるかのような質感で、臨場感ある鑑賞となりました。
猿町カフェで味わう 抹茶のひととき
新館1階には、この地域の古称「猿町」にちなんだ名前のカフェがあります。陶芸家・辻村史朗氏による茶碗など、お好みの茶碗を選んで抹茶を楽しむことができます。
茶道具の名品から本格的な美術鑑賞、そして気軽に楽しめる抹茶まで。1日を通じて日本文化の奥深さに触れることができる貴重な空間だと感じました。
所在地…港区白金台2-20-12
電話…050-5541-8600(ハローダイヤル)
休館日…毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)展示替え期間、年末年始
この街にこの人あり 岡 啓輔(おか けいすけ)さん(建築家)
プロフィール
昭和40(1965)年福岡県生まれ。一級建築士。住宅メーカーに勤務後、東京で土木、鳶、鉄筋工、型枠大工など現場で経験を積む。
平成15(2003)年蟻鱒鳶ルが「SDレビュー」入選。
平成30(2018)年『バベる!自力でビルを建てる男』筑摩書房出版。
「踊るように即興の建築を自力で造る」
三田聖坂を歩いて行くと、一際目立つ変わった形のコンクリート4階建ての建物が目に入ります。これが「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」です。
このビルを自分で設計し、なんと自力で建設中の「三田のガウディ」と呼ばれている建築家・岡啓輔さんからお話を伺いました。
●建築はどのように学ばれましたか?
わたしは、建築の高等専門学校を卒業し、住宅メーカーに勤め、住宅設計を2年ほど経験しました。その後建築現場で働きながら、高山建築学校で建築を学び、自転車で全国の優れた建築を見て回りました。
●「蟻鱒鳶ル」の土地はどのようにして、手に入れられたのですか?
2000年に広尾の不動産屋から買いました。40平方メートルと狭小な崖地で買い手がいない土地とにらんで、かなり値引いてもらいました。港区の一等地としては破格の値段で買いました。
●自力で建物を建てようとした動機は?
ちょうどそのころ、著名な建築家である石山修武さん(早稲田大学名誉教授)が主宰する建築のワークショップがあり、私も参加しました。講師に、建築家の安藤忠雄さん、建築史家の藤森照信さんなどのそうそうたる方がおられました。約40人が参加し、一人ひとりプレゼンテーションを行いました。
わたしが、コンクリートの建物を自力で建設し、建設中に即興でディテールを変えていく「踊る建築」の提案をしたところ、石山さんに絶賛されました。その言葉に押されて、いつか本当に自力建設を実行し、「踊る建築」を実現しようと思いました。
●自力建設はどのように始められましたか?
一級建築士の資格を持っているので、自分で設計図を書き、構造計算は専門家にお願いし、確認申請を通しました。鉄筋コンクリートの壁構造で地下1階、地上4階です。そして2005年11月に着工しました。
まず、地下を掘ることから始めました。重機を使って掘る業者を探したのですが、いくら探しても見つからなかったので、ひたすら、スコップとツルハシを使い、人力で掘りました。地下を掘る作業だけで1年かかりました。歴史のある場所だったので、掘ると江戸時代の藩邸の土台と思われる300kgもある大きな石も出てきました。
完全自力建設で、朝9時から午後5時まで、土日も休まず、ほぼ毎日現場で働きました。多くの時間は一人で行いましたが、最後の数年はたくさんの友人たちが作業に参加してくれました。
●建設資材はどのように調達しましたか?
建設資材は、主にホームセンターで買いました。コンクリートの質を決める砂と砂利は良心的な生コンクリート屋さんから買うことができました。通常よりセメントの量を多くしたので、水セメント比が小さくなり、良質なコンクリートに仕上がりました。建物は200年以上もつと言われました。
●コンクリートの壁はどのように造られましたか?
壁はまず鉄筋を組み、そのまわりに型枠を設置してコンクリートを流し込みます。この建設では、一つの型枠の高さを手で扱いやすい70cmにしました。70cmの型枠を使うと、その場でいろいろな表情を付けられるため、即興でできる「踊る建築」を実現するにはぴったりでした。また、型枠に農業用ビニールを使ったら、魚のうろこのようなおもしろい表情の壁になりました。
●この建物は、三田三・四丁目地区第一種市街地再開発事業の区域に入っていますね。再開発事業との調整はどうされましたか?
ある日、突然、スーツを着たデベロッパーの方が訪れ、相応の補償をするから、壊してくれと言われました。断ると、何度も来られて、あの手この手で説得しようとされました。
しかし、多くの人がこの建物は残すべきだと言ってくださったので、建物ごと10m、後方に曳家をすることになりました。
●マスコミなどで随分取り上げられましたね
タモリ倶楽部やビートたけしさんの番組、新聞各紙でも取り上げられました。
ほかにも、いろいろな人が訪れてくれています。藤森照信さんは2度来られていますし、イギリス・ロンドンにある、世界でも著名な私立建築学校AAスクールの学生も毎年来られています。
●この建物はいつ完成しますか?
トイレなどの設備やサッシュを入れて、来年の春までには完成する予定です。一つの芸術作品と評価し、ずっと残してくれる方がいれば、売りに出すつもりです。
この土地に建設してよかったと思います。地域に知識人が多く、皆さんに応援していただいています。建築学会や慶應義塾大学が近くにあり、クウェート大使館や普連土学園などの名建築もあります。地域の名所になればと思っています。
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