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ホーム > 麻布地区総合支所 > 暮らしの情報 > 麻布地区の地域情報紙(最新号)

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更新日:2018年10月9日

麻布地区の地域情報紙(最新号)

 アートな麻布に魅せられて18~麻布の美味しいアート~

東麻布の土器(かわらげ)坂。今はビルが立ち並ぶその中腹に、突然現れる蔵屋敷のような佇まい。「野田岩」の本店である。ビルの合間にありながら、外観は大きな看板と相俟(あいま)って強烈なインパクトがある。それでいて不思議とこの景観に馴染んでいる。何気なく歩いていると見逃してしまうかもしれない。そんな「不思議さ」に魅かれ店内に入ると、そこにはたくさんの「心意気」が込められていた。

「食べる」を楽しむ

一歩店内に足を踏み入れると、外観とは別世界の空間が広がる。2階へ続く階段は、ずっしりと重みのある印象。この先にはどのような空間が待っているのだろうか、と期待が膨らむ。現在の店舗は昭和50年に建てられ、内装には飛騨高山の古民家のパーツをふんだんに使っている。その量、実に6棟分にもなるそうだ。そこまでこだわった大きな理由は、「食事をする場を、楽しんでもらいたい」から。この心意気は店舗の細部に至るまで強調されている。例えば、照明一つとっても、京都の古道具屋から購入した物や、イタリア、フランスのアンティークの物までこだわり抜いている。それでいて、調和された設えに統一されていて、まさに「アート」な豪華さだ。ところがその豪華さは、決して食事の邪魔をしていない。和やかに会話をしながら「食べること」を楽しめる空間になっている。「古民家」という選択もさることながら、それだけでは演出しきれない「不思議な熱意」がそうさせているのかも知れない。

店は人がすべて

200年も続く老舗が守っているものは「味」や「技」だけではない。「食べに来てくれたすべての人に満足してもらいたい。そのためにはお店の雰囲気も楽しんでもらわなければ。」そんな思いが建物の中に詰まっている。今回の取材では特別に厨房も覗かせていただいたのだが、職人一人ひとりが常に生き生きとした表情で、一心不乱に料理に取り組む姿を見て、ここで守っているものが「人」であることをしみじみと感じた。この店の建物が体現しているのは「人」を大切にする心意気。「不思議な熱意」も「相反するイメージ」もすべては「人」が根幹にあればこそ生まれるもの。

麻布の一角に、心に響く美味しい「アート」があった。

  • 取材協力/野田岩五代目 金本兼次郎氏
  • 参考文献/金本兼次郎『生涯うなぎ職人 二百年続く老舗「野田岩」の心と技』 株式会社商業界 2011年

(取材/高柳由紀子、田中康寛 文/田中康寛)

 麻布の軌跡 狸穴(まみあな)の皇孫養育主任 川村純義(すみよし)伯爵

将来、天皇となる男子は、生まれて間もなく里子に出され、里親の元で育つのが皇室の慣習だった。迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう)、後の昭和天皇の里親となったのは、海軍卿(きょう)(海軍大臣)や枢密顧問官などを歴任し、麻布区狸穴町4番地、今の東京アメリカンクラブの地に邸宅を構えていた川村純義だった。明治天皇の信任篤く、天皇の初孫の養育を任された川村とはどのような人物だったのだろうか。

日本海軍の礎(いしずえ)を築く

川村は江戸末期の天保7(1836)年、薩摩藩の下級士族の長男として生まれた。兵学を学ぶ中で「これからは鉄砲の時代」と悟った川村は砲術を修行、安政2(1855)年には、江戸幕府が新設した長崎海軍伝習所に一期生として入所した。薩摩藩から選抜された同期には、後に大阪商工会議所を設立する五代友厚がいた。戊辰戦争では薩軍小銃4番隊長を務め、会津若松城攻撃で武勲を立てた。

明治の世になると島津直義知事に従って上京し兵部省(ひょうぶしょう)に入り、明治政府の海軍整備に尽力した。川村が特に力を注いだのが人材の育成だった。「軍艦は金さえ出せば手に入るが、人材の育成には時間がかかる」と、自ら兵学頭(後の海軍兵学校長)となり士官の育成にあたった。創設期の帝国海軍にあって川村は、軍艦の発注や艦隊の整備などを主導、明治11(1878)年には海軍トップの海軍卿(後の海軍大臣)に昇りつめた。これと決めたら一意専心、強硬な軍拡主張や薩摩出身者の重用などが批判を受けて一時は職を追われるも復権、2度にわたって海軍卿を務めている。霞ヶ関にあった海軍省には、伊藤博文内閣で初代海軍大臣となった西郷従道(隆盛の弟)とともに川村の銅像が建てられるほどの、帝国海軍きっての功労者だった。

養育主任に抜擢(ばってき)

明治天皇の初孫、迪宮親王の里親になるのは明治34(1901)年、川村65歳の時である。海軍卿を退いた後、枢密顧問官や宮中顧問官などを歴任していた川村に、狩猟に随行して親交のあった皇太子(後の大正天皇)から直々に「養育を委ねたい」と打診されたのだ。皇孫養育役の要件は「武勲のある老臣で夫妻共に壮健、且つ子女の養育の経験があり和やかな家庭生活を営む者」だったという。帝国海軍の重鎮で2男2女を育てあげた川村はまさに適任であった。決め手となったのは明治天皇の強い意向だったとされている。海軍時代に天皇の西方巡行に随行していたほか、狸穴の自宅を訪れた天皇皇后を能楽や薩摩琵琶でもてなすなど長年の親交があった。天皇は川村の謹厳実直な人柄を見込んで、初孫を託す決心をしたのだという。あまりの重責に即答はできず一旦は持ち帰った川村だったが、家人とも相談の上「これを最後のご奉公、鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)*の至誠を捧げよう」と養育役を引き受けた。皇太子は「万事自身の孫と思って育てて欲しい」と、まだ生後70日の迪宮親王を川村家に委ねたのである。

麻布区の住民は、親王を乗せた馬車を沿道で出迎えたり門扉に国旗を掲げたりして歓迎したという。明治15(1882)年に狸穴町の約1万平方米の敷地に建てられた川村邸は、鹿鳴館や三菱一号館などを設計し西洋建築の基礎を築いたジョサイア・コンドル(ザ・AZABU 20号掲載)による初めての個人住宅だった。当時としては珍しい洋風建築だったが、親王を迎えるために、さらにいくつかの補修や増築が行われたという。迪宮親王は明治34(1901)年7月7日から、この狸穴の邸宅と静岡県沼津市にあった川村家の別邸で、3歳になるまで育てられたのである。

川村家での養育

親王の養育に先立って、川村は旧主君島津家のイギリス人家庭教師にヨーロッパの皇帝教育について教えを乞うたほか、幼児教育や帝王学に精通した人を訊ね歩いたという。最終的に決まった養育方針は次のようなものだった。

心身共に健全な発育を遂げさせ、/物を恐れず人を尊び、/難事に耐える性格を養い、/気儘我儘をさせないよう育てる。

川村の養育ぶりを伺わせるこんなエピソードが残されている。ある夕餉に好物でないものを供された迪宮は「これいやっ」と箸を投げ出した。川村は「嫌なら結構、爺はもうご飯を差し上げぬ」と膳を下げる仕草をしたところ、幼い親王は「食べる」と泣いて謝り、その後、2度と好き嫌いを言わなくなったという。

川村は皇太子の第二子の淳宮雍仁(あつのみややすひと)親王(後の秩父宮)も自宅に迎え入れ、2人の親王の里親となった。将来、天皇になる皇孫は、親子の愛情や兄弟の絆も国民の範たるべきという考えからだったという。迪宮は一つ年下で闊達な淳宮を「あっちゃん」と呼んで可愛がり、些細なものも分かち合い、玩具を弄ぶのに気づくと「危ない、危ない」とよく気遣っていたそうだ。

海軍時代に1年間の欧米視察を経験した川村は、外国に対して恥ずかしくないものをと、洋服は全てフランスから貴族の子供服を取り寄せ、玩具も舶来品を揃えていた。皇后から贈られた木馬は兄弟の大のお気に入りだったという。

親王兄弟は、夏は日光や箱根、冬の間は沼津の別邸で過ごすことが多かった。天皇が軍事演習視察の帰路で沼津を通過する際には、川村は兄弟を駅に連れ出して車上の天皇を出迎える機会を作り、天皇も孫達の成長を喜んだという。

箱根へ避暑に向かう道中では、大事に至らなかったもののこんな出来事があった。療養中の川村に代わって長男の鉄太郎が引率した登山電車が上り坂で突然停止、徐々に逆走し始めた。鉄太郎らは車座になって親王を囲み衝突に備えた。幸い逆走に気付いた後続車の運転手が車両を移動し、間一髪衝突を逃れることが出来たという。一つ間違えば大変な惨事となるところだった。
幼い2人の皇孫を育てた川村は、日露戦争の最中の明治37(1904)年8月、狸穴の自宅で68年の生涯を閉じた。3年余りの皇孫養育の労で、川村は死後に海軍大将に昇進している。
幼年の皇子を養育役に委ねる古来の慣習は、ドイツ人侍医ベルツなどからも疑念が呈されていた。里親宅でなく初めて親元で育ったのが、現(今上(きんじょう))天皇の長子、来年皇位を継承される皇太子殿下だ。川村の没後、半世紀余りを経てのことである。
*鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)ひたすら心を尽くして骨折り国事に努めること。

参考文献

『今上陛下聖徳余影』(聖徳余影発行所 1929)
宮内庁編『明治天皇紀』索引、2巻、5巻、7巻、10巻(吉川弘文館 1968)
太平洋戦争研究会編『日本海軍将官総覧』(PHP研究所 2010)
田村栄太郎著『川村純義・中牟田倉之助伝:明治海軍の創始者』(日本軍用図書株式会社 1944)
安藤優一郎著『「勝海舟と福沢諭吉」維新を生きた二人の幕臣』(日本経済新聞出版社 2011)
人見幾三郎編『京浜所在銅像写真第1輯』(諏訪堂 1910)
渡辺幾治郎著『明治天皇の聖徳』(千倉書房 1941)
『「昭和天皇実録」第1』(東京書籍 2015)
半藤一利ほか著『「昭和天皇実録」のなぞを解く』(文藝春秋 2015)
保阪正康著『昭和天皇』(中央公論新社 2005)
トク・ベルツ編『ベルツの日記・下巻』(岩波書店 1979) 
鶴見俊輔・中川六平編『天皇百話・上の巻』(筑摩書房 1989)
田中光顕監修 長野新聞株式会社編纂『聖上御盛徳録』(長野新聞 1935)
安倍能成等著『天皇の印象』(創元社 1949)
福田和也著『昭和天皇(3)養育先へ-日本海軍の創設者、川村純義に預けられた理由』 
(文藝春秋83(12)2005)
鈴木博之、藤森照信編『鹿鳴館の建築家ジョサイア・コンドル展 図録 増版改訂版』
(建築画報社 2009)
研谷紀夫編『皇族元勲と明治人のアルバム』(吉川弘文館 2015)

●取材協力/影山杏

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