現在のページ:トップページ > 高輪地区総合支所 > 暮らしの情報 > 高輪地区の地域情報紙(最新号)

ここから本文です。

更新日:2023年3月9日

高輪地区の地域情報紙(最新号)

高輪地区地域情報紙「みなとっぷ」第48号

バックナンバーを見る

 変わりゆく街 白金一丁目エリア

再開発計画が目白押しでこれから大きく変わろうとする白金一丁目。

かつては工場の職人たちで賑わっていた「昭和レトロの街」が少しずつ消えようとしています。

そんな街を少しでも記録に残そうと取り上げました。

古い街と新しい街が混在している白金一丁目エリアです。

記憶に残したいレトロな風景

近年、Z世代(1990年代半ば~2010年代序盤ごろに生まれた世代)を中心に、「昭和レトロ」ブームが続いていますね。

昭和レトロとは、昭和を懐かしむまたは憧れる思いです。高度経済成長期の明るい未来に向かってつき進む世相が、現在と比べてまぶしく感じられるからかもしれません。

また、デジタル処理にはない人の温かみを感じられる広告や、色鮮やかなクリームソーダの写真うつりがよいことからSNSで発信されブームになっています。

再開発が進む白金一丁目エリアにも、「昭和レトロ」を感じさせる貴重な風景がいくつかあります。なかでも一番感じさせるのは白金一丁目にある四の橋市場です。現在、八百屋さん(大川青果)と鶏肉屋さん(鳥彦)の2店が営業しています。残念ながら再開発でこの建物はなくなってしまいます。お店の移転先はまだ決まってないそうです。

古川さくら児童遊園

令和5(2023)年2月1日に開園した古川沿いの「古川さくら児童遊園」をご紹介します。

この児童遊園は、白金一丁目東部北地区第一種市街地再開発事業により整備されました。

児童遊園の特徴

「子どもが創意工夫しながら遊べ、地域とつながる児童遊園」をテーマに、遊びゾーン、休憩ゾーン、散策ゾーンの3つのゾーンに分け、以下の5つのコンセプトに基づき整備しました。

  1. 異なる年齢の子ども達が創造して遊ぶ場
  2. 地域の方々が憩い、集う場
  3. 潤いと魅力ある水辺空間
  4. 安全・安心な空間
  5. 防災機能の強化

児童遊園の概要

t1-02.png面積は500平方メートル、施設はマウンド遊具、ミスト、防災トイレベンチ、かまどベンチ、パーゴラ(格子状の屋根)、水飲み、時計塔、埋設照明、園灯などがあります。

遊びゾーンには、2つのマウンド(築山)があり、子どもが上り下りできる遊具があります。ボタンを押すと、ミストが噴出し、夏の暑さを和らげてくれます。

休憩ゾーンには、四方にベンチを配置し、大人も休息、休憩ができます。防災トイレ機能やかまど機能を持つベンチもあります。

散策ゾーンには古川沿いに桜が植えられ、古川沿いの散策を楽しめます。さらに、ドウダンツツジ、アジサイなどが植えられ、季節ごとに散策を楽しめるようにしています。

本児童遊園は、近隣の7町会及び4つの保育園を対象に懇談会を開いて意見をうかがい、設計に取り入れました。

この街にこの人あり 松原 真紗子(まつばら まさこ)さん

t2.png

(龍源寺 寺庭※・裏千家 茶道教授)※寺庭…住職あるいは前住職の配偶者

臨済宗妙心寺派 龍源寺 前住職、松原哲明(てつみょう)氏の妻

プロフィール

1945年 鎌倉 円覚寺雲頂庵に生まれる
1965年 龍源寺の前住職 松原哲明に嫁ぐ。龍源寺で、茶道教室を始める。第16世 松原泰道は義父にあたる
2000~2019年 港区三田地区の民生委員・児童委員(以下、ここでは「民生委員」と言う)として、活動に従事する
2005年~ 慶應義塾大学の茶道部「慶茶会」で、お茶の指導をする
2009年 料理の本「お寺の奥さんがつくるおかず」が、大和書房から発行される
2014年 料理の本「お寺の常備菜とおかず」が、大和書房から発行される
2018年 宝島社の本「素敵なあの人のシングルライフ」に、掲載される
真紗子さんのライフスタイル、お気に入りのものなどが、4ページにわたって紹介されている

「お寺をお守りしながら、茶道を約50年教えています」

龍源寺は、白金高輪駅から徒歩約8分、古川橋の裏手、静かな路地沿いにあります。塀沿いに綺麗に咲いている山茶花を楽しみながら、松原さんを訪ね、お話を伺いました。

お寺には、いくつかの年間行事もあり、嫁いでから忙しい日々だったでしょうね

鎌倉のお寺で生まれ育ったので、お寺の日々の仕事には、慣れています。毎朝5時ごろに起床し、塀の外や庭掃除をします。実家でも、料理の手伝いをしていましたが、嫁いでからは、義母(松原静子)から毎日のように習いました。義母は聡明で、しっかりした女性でした。義父は講演や執筆活動で忙しくしていて、連日、電話や来客がありました。若かったので、いろいろ任されて、大変だったこともあります。今思うと、お茶を教えている時だけが自分の時間、ほっとする時間でした。毎日、7~8人分(義父母、夫、3人の息子、若いお坊さんなど)の料理を作り、お寺の年間行事の際は、10人近い檀家の方々と一緒に、100人分以上の料理を作っていました。ここ2~3年料理を出すのをやめていますが、今後は、やり方を工夫する必要があるでしょうね。

精進料理の本を2冊出されていますが、きっかけを教えてください

私は、料理の先生ではないので、自分で料理の本を出そうと思ったことは一度もありません。北軽井沢に、龍源寺の座禅堂「日月庵」があり、座禅合宿の参加者たちに、いつも料理を出しています。たまたま大和書房の編集者の方が座禅に参加したときに、私が作った精進料理がどれも美味しいとのことで、是非本を出してほしいと依頼されたのがきっかけです。料理は、お寺の行事の際に作っているゴマ豆腐、煮物、大豆の入った茶めし、けんちん汁などで、食材は特別なものではありません。無駄なく、使い切るように心がけています。

お寺の庭には、古い樹木が多く、果樹もありますね

庭には、梅、柚子、柿の木があり、沢山実をつけます。義母は毎年、梅干し、干し柿、大根や白菜の漬物を沢山作り、私も手伝っていました。檀家の方で毎年、大根を沢山送ってくださる方がいて、私は今も義母と同様、様々な漬物を漬けています。自分で漬けた漬物は、美味しいですよ。

茶道は、いつから始められたのですか?

小学生の時で、きちんと始めたのは中学2年生からです。当時は、今みたいにいろいろ習い事がなく、半ば強制的でしたね。茶道は、かなり長く教えていて、中には40年以上通われている方も数人います。慶應義塾大学の部活動「慶茶会」でも、お茶を20年ほど教えています。以前、慶應義塾大学女子高等学校でも教えていて、その頃は学校の茶室で教えていましたが、手狭になったので、今は龍源寺やリーブラ(港区立男女平等参画センター)の茶室で教えています。学生の皆さんは、春茶会、新入生歓迎会、三田祭などでのお茶会に向けて頑張っており、私も楽しみにしています。

三田地区の民生委員として、長年、活動されました

一人暮らしの高齢者の方を訪ねると喜んでくださり、おしゃべりを楽しみました。反面、訪ねられるのを嫌がる方もいて、対応が難しいこともあります。民生委員の活動は、一人暮らしの方の支えとなり、時として事故を防ぐこともある、大事なお役目だと思います。

10数年前に、義父母様やご主人が続いて亡くなられ、大変でしたね

t2-02.png義父と8歳下の義母は仲がよく、義母が亡くなって3週間後に、義父も亡くなりました。101歳で、大往生でした。

主人は玄宗三蔵法師の探究者で、本も数冊出しています。研究、調査などで、中国やキルギスなどへ100回近く訪れていました。義父が亡くなった翌年、急な病で突然亡くなり、私もその2年余りは、3人の見送りをすることで必死でした。でも、3人の息子がいて、長男の信樹が龍源寺の住職となり、次男の覚樹は臨済宗 佛母寺(千葉県)の住職となり(米・コーネル大学東アジア研究所研究員で、アメリカと日本を行き来して活動中)、三男の行樹は円覚寺の仕事をしていて、3人とも、禅宗の伝道活動に携わっていて、ありがたく思っています。

ご実家のお母様の最期もみとられましたね

鎌倉にいた母が95歳となり、引き取って、10年近く一緒に暮らしました。日頃、実家をあまり訪ねることができなかったので、母の晩年、一緒に出かけ、世話をすることができ、本当によかったです。

運動は、何かされていますか?

毎朝、庭に出て、ラジオ体操をしています。あとは、よく歩くようにしています。以前は、芝の東京タワーまで往復歩くこともありましたが、最近は近いところを歩いています。

参考事項

龍源寺 港区三田5丁目9-23
臨済宗妙心寺派の寺院で、江戸時代前期に創建され、麻布今井村を経て、1698年に三田に移転。18世紀前半中津藩(大分県)藩主 奥平昌成により中興される。

第16世 松原泰道(2009年ご逝去)
昭和47(1972)年出版の「般若心経入門」(祥伝社刊)は、記録的ベストセラーとなり、その著書は100冊を超える。 第23回仏教伝道文化賞受賞

よくある質問

「よくある質問コンテンツ」をご活用ください。

よくある質問入り口

Adobe Acrobat Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。

お問い合わせ

所属課室:高輪地区総合支所協働推進課地区政策担当

電話番号:03-5421-7123