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更新日:2019年3月7日

高輪地区の地域情報紙(最新号)

高輪地区地域情報紙「みなとっぷ」第38号

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 街が変わる 郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」

街が変わる

郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」が平成30(2018)年4月にオープンしました。

「ゆかしの杜」には、郷土歴史館の他「がん在宅緩和ケア支援センター」、「区民協働スペース」、「白金台学童クラブ」、「みなと保育サポート白金台」、「子育てひろばあっぴぃ白金台」などの施設があります。「ゆかしの杜」は歴史的建造物「旧公衆衛生院」を保存・改修して利用しています。

旧公衆衛生院

この建物は昭和13(1938)年に、米国ロックフェラー財団の支援・寄付のもと、国民の保健衛生に関する調査研究及び普及活動を目的に国が設立した機関「公衆衛生院」のために建設されたものです。

設計者は内田祥三東京大学建築学科教授(当時は東京帝国大学)で東京大学安田講堂などを設計しています。外観は内田教授設計の特徴であるゴシック調になっております。中央ホールと旧院長室のある2、3階と、授業を行う教室や実験室がある4、5階、学生の宿泊する寮があった6階と大きく3種類の用途とデザインに分けられている点が特徴です。

建物の保存・改修

平成21(2009)年、港区が旧公衆衛生院を取得し、約80億円をかけ郷土歴史館を中心とした複合施設として改修を実施しました。貴重な建物の意匠等の保存については、港区文化財保護審議会や建築史の専門家の意見を参考にしています。耐震補強、バリアフリー化に配慮した改修を行っています。

340席の階段状の旧講堂、旧院長室は、建設当時の部材がそのまま残されており、当時のすばらしいデザインの様子がうかがえますが、見学のみで、現在の法律上、集会は行えません。

郷土歴史館(1階、2階、3階、4階)

郷土歴史館は港区の自然・歴史・文化を深く知り、交流する拠点です。

常設展示のほか、企画・特別展示、イベントの開催、カフェ・ミュージアムショップなどを通して港区の魅力を紹介します。

常設展示室(3階、4階)は、3つのテーマに分かれています。

特別展示室(2階)では、年3回程度企画展や特別展を行い、2019年2月~5月は企画展「平成と港区」が開催されます。

その他、無料で入場できる原始・古代から現代に至る港区5地区を紹介するガイダンスルーム、縄文土器やクジラの骨格標本など本物の資料を見たり触ったりできるコミュニケーションルームの他、図書室、ミュージアムショップ、カフェなどがあります。

がん在宅緩和ケア支援センター「ういケアみなと」(5階)

東京23区で初めてつくられたがん在宅緩和ケア支援センター、「ういケアみなと」は次のような主旨でつくられました。

●がん患者とその家族が住み慣れた地域で可能な限り質の高い生活を送れるよう支援します。

●がん患者とその家族だけではなく、広く開かれた施設とします。

●地域におけるがん診療連携拠点病院や医療機関等との連携やニーズに応じて区の保健福祉サービスへ迅速につなげることができる等、自治体の強みを生かした新たな在宅緩和ケアを推進します。

施設の中で、看護師や医療ソーシャルワーカーが、がん患者やその家族の様々な相談をお受けしています。また、リハビリセミナー、栄養セミナー、生活の質向上セミナーなどを開催しています。施設は、ソファなどが置かれ居心地のよい空間になっています。どうぞ、気軽に相談においでくださいとのことです。

「区民協働スペース」(6階)

2つの会議室で構成された区民協働スペースがあります。

毎月第3金曜日午後1時30分~4時まで、高輪地区CCクラブが主催するコミュニティ・カフェが開催され、地域の方の交流を深めるために、飲み物のサービスをしています。

(担当/安藤、松島、吉田)

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 地域で賑わうイベント

MINATOシティハーフマラソン2018(平成30(2018)年12月2日)

MINATOシティハーフマラソン2018が12月2日に開催されました。

今年、開催された港区の初めてのマラソン大会です。ハーフマラソンは21.0975kmで8時30分にスタートし、ファンラン(「funrunning」の略称。楽しみながら走ることが目的のマラソンのこと)は1.5kmで8時50分にスタートしました。ハーフマラソンは2時間30分以内にコースを走れば完走です。ハーフマラソン参加者は5000人、ファンラン参加者は500人です。ハーフマラソンの応募資格は満18歳以上で制限時間以内に完走できる方で、ファンランは年齢制限なしです。どちらも早い時期に募集人員を超えたようで、大変な人気です。

当日は晴れた日で、絶好のマラソン日よりでした。スタート地点の芝公園に8時ごろには、早くもランナーや観客が大勢つめかけていました。

ランナーたちはゼッケンをつけたウェア、靴、帽子などがファショナブルなスタイルで参加しています。さすが港区マラソンです。

開会式で武井区長、主催者代表などのあいさつがあり、いよいよスタートです。

本格的にタイムを競う方、走るのを楽しむ方など老若男女、様々なランナーが集まっていました。

ファンランは、お子様が多く参加されていました。家族で参加される方もいて、和気あいあいの雰囲気です。

ボランティアスタッフも大勢いて、ランナーや観客の誘導をスムーズに行っていました。大会運営がよかったという意見もありました。

コースは、東京タワー、高層ビル群、由緒ある寺社仏閣、緑豊かな公園、水辺など港区の多彩な魅力を満喫できるよう設定されており、交通規制も広い範囲で行われていましたが、4車線道路では片側2車線、車が通行できるようにしていました。

高輪地区は、国道15号(第一京浜)がコースとなっており、沿道にはランナーを応援する方も多くでていました。

走る人、応援する人、老いも若きも参加する素晴らしいイベントです。港区の新しい魅力が一つ増えたようです。

見事完走した高輪地区在住の3人のランナーにお話をうかがうことができました。皆さん、マラソンは初出場だということでびっくりです。

古沢秀治さん(白金在住、62才)

マラソン中の紺と赤のコントラストが素敵なウェアが目を引きました。「6月にエントリーして、今日までジムのトレッドミルで走りこんできました。完走出来ないと恥ずかしいので参加することは内緒にしていましたが、たくさんの知り合いに会ってしまいました。足が上がらなくなって辛かったですが、完走出来て嬉しいです。」

金井由光さん(三田在住、50才)

J:COMの「地域活性化にすべてを捧げるヒーロー戦隊サカリバン」のサカリバン・ブルーに扮した金井さん「今日のコースは、ビルがきれいで知り合いが多く応援してくれて楽しく走れました。普段はトライアスロンをやっていて、家のある三田から皇居まで走っていますが、それでもゴール前の500mは上り坂がきつかったです。」

望月義也さん(白金在住、46才)

走った後とは思えないほど、冷静にお話してくださいました。どのように初マラソンを攻略するかとの理論的なアプローチが興味深かったです。「いつもこのような企画では、主催者側の救護班の医師として、関わっている事が多いのですが、今回は参加者としてイベントを体験してみようと思いました。2週間でズボンに拳が1個入るぐらい体重を落として臨んだ甲斐あって完走出来ました。今夜は我慢していたカレーが食べたいです。」

取材を終えて

「参加者だけでなく、誰もが楽しむことができるマラソン大会の実現に向けて」と港区が目指したとおり、沿道に多様な催しが繰り広げられていました。ダンス、音楽、港区の有名店のフードトラック、スポンサー企業のブース等、のんびり休日を過ごす人々の姿で溢れていました。

泉岳寺義士祭(平成30(2018)年12月14日)

毎年、12月14日には高輪泉岳寺で、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日に因んで義士祭が開催されています。高輪泉岳寺には、浅野内匠頭や赤穂浪士47名のお墓があります。

曾祖父の代(明治時代)から泉岳寺の前でお土産店を経営している小泉陽一さんから義士祭にまつわる面白いお話をうかがいました。

義士祭の歴史

戦前から義士祭はありましたが、いつごろから始められたのかは誰もわかりません。

自然発生的にできたように思われます。太平洋戦争の頃には、兵隊が大勢お参りに来られたことがありました。当時は12月14日だけでなく、一年中多くの方がお参りに来られていました。

戦後すぐの頃の義士祭では、庫裡の前に、舞台をつくり、踊りや歌など演芸を行ったことがありました。のんびりした時代でした。

1964年のNHKの大河ドラマに「赤穂浪士」が取り上げられ、視聴率が50%を超えたことがありました。まさに国民的ドラマだったのですね。「赤穂浪士」が放映されている年の12月14日、泉岳寺には、朝から大勢の人が訪れ驚いたことがあります。その時の来場者は5万人だったようです。現在は1万人から2万人位です。

1999年にもNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」が放映され、義士祭で大石内蔵助役の中村勘九郎のトークショーが行われました。

討ち入り300年祭の時は、泉岳寺護寺会が主催して、ドラマの俳優や力士の方が来られ、大石内蔵助に扮し、高輪学園剣道部の協力で義士行列をしました。その時も大変な騒ぎでした。

義士祭で高輪学園の卒業生による提灯行列も長い間、続けられています。

アメリカの映画「47RONIN」が制作されてからは、外国人の方も多く訪れるようになっています。

義士行列について

義士行列は、赤穂浪士の討ち入りの装束を着て中央区役所から泉岳寺まで行進します。義士行列がはじまったのは1950年ごろです。60年以上の歴史があります。最初の義士行列の主催者は、東日本橋にあった繊維問屋の日本綿毛でした。社長さんが忠臣蔵のファンだったようで、社員の方々が参加し、東日本橋から泉岳寺まで行進を行いました。その後、日本綿毛は引っ越したため、財界二世学院関係者の主催で行われています。最初の頃は行進する人を探すのが大変でしたが、今は応募する方が多く、昨年は2回も義士行列を行いました。

(担当/安藤、森、平尾、佐藤、黒瀬)

よくある質問

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お問い合わせ

所属課室:高輪地区総合支所協働推進課地区政策担当

電話番号:03-5421-7123