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更新日:2024年7月26日

芝地区の地域情報誌(最新号)

 歴史探訪 江戸子版画家「川瀬巴水」

令和5年(2023)4月のテレビ「開運!なんでも鑑定団」で、川瀬巴水(1883-1957)の版画初摺(しょず)り47点、水彩画3点で7,600万円の値段が付きました。

関東大震災(1923)後の復興時の新橋驛(えき)、愛宕山、芝大門などのスケッチを残しています。


新橋驛 
『日本及日本人』(1月1日號)(64)、政教社、1925-01
国立国会図書館デジタルコレクション(外部サイトへリンク)
 

若旦那(わかだんな)

父、川瀬庄兵衛(しょうべえ)は第三回内国勧業博覧会に於いて窓掛飾総(まどかけかざりふさ)で三等進歩賞、洋傘飾総(かざりふさ)で褒状をもらう腕前の糸組物(くみもの)職人で、新橋から源助町(げんすけちょう)、柴井町(しばいちょう)(新橋四丁目~六丁目)、芝大門に抜ける日蔭町(ひかげちょう)通り、明治時代古着屋、靴屋などで賑(にぎ)わう道すじの露月町(ろげつちょう)36 番地(現新橋五丁目6)で商売を営み、長男として川瀬文治郎(ぶんじろう)(巴水)は明治16 年(1883) に生まれました。桜川小学校に入り、商売より絵が好きで芝神明の画家に習います。草履(ぞうり)に和服角帯(かくおび)の洒落た文治郎は、25 歳で入門を希望した日本画家鏑木清方(かぶらききよかた)(1878-1972)の勧めで溜池白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所に通い、2 年後に弟子になります。清方が鞆絵(ともえ) 小学校と間違え巴(ともえ)の字を使い、「川瀬の川に因(ちな)んで」、画号を「巴水」と命名されました。

巴水は、銀座「白牡丹(はくぼたん)」で帯留などの図案を画(か)き、小説に挿絵などを描いていました。愛宕下四丁目(新橋五, 六丁目近辺)で転居をしながら、大正6 年(1917)に34 歳で結婚します。

浮世絵から新版画の制作を目指す銀座の版画商、渡邊庄三郎(1885-1962)を前年に知り、巴水は新版画制作へと向かいます。巴水は、伯母が住む栃木県「塩原おかね路」などの風景新版画を35 歳で版行(はんこう)し、人気を得ました。44歳で大田区に転居後「馬込の月」などを制作し、自らも旅行を好み、「旅情詩人」といわれ、日本全国各地と韓国を含む風景新版画を創作しました。現代の歌川広重ともいわれています。

芝地区近辺の愛宕山、増上寺、芝公園、芝大門、芝恩賜公園などの作品があります。
新橋驛スケッチ部分 「大田区立郷土博物館所蔵」

 

新版画

版元渡邊庄三郎の目指した新版画は、「版元」の提唱で画家の絵を下絵として「画家」が「彫(ほ)り」、「摺り」、「色決め」にも参加し、版画に画家の意い図とを表現する近代芸術です。

巴水は「純然(じゅんぜん)たる版画家です」と言い、絵と違い新版画の景色は「簡単で居(い)て面白み」があり、その「簡単な構図の中」、「・・・いろいろの変化で、朝にも夕方にも、雪にも雨にもなるのが、また版画の面白味である」とし、画中(がちゅう)の人物に地元感を表しました。

巴水は、「生粋(きっすい)の江戸子」、「芝で生まれて版画※ 1 で育ち」と粋がり、「でこぼこ文ちゃん」と呼ばれるなど、他人からは世の中のことを気にしない性格とみられている事を自覚していましたが、巴水は正反対に「静寂(せいじゃく)な雅趣(がしゅ)」で「落付(おちつ)いた淋しみの翳(かげ)濃いものを好みま」した。この深い淋しさは、家業を継がせようとする圧力や、絵に憧れ、少年期に周囲に馴染めないなどの心の葛藤に巴水の繊細な感受性が反応したからでしょうか。

花街の烏森、繁華街の大門、銀座に近く、「義理と人情とやせ我慢」の露月町の芝っ子若旦那は、酒を好み、母や伯父で戯作者(げさくしゃ)の仮名(かな)垣魯文(がきろぶん)が好きだった義太夫(ぎだゆう)、落語、歌舞伎などの喜怒哀楽の情の世界に馴染み、巴水はその才覚で新版画の「粋」な情の美の芸術を創りました。大正10年(1921)渡邊は、巴水を「板畫家(はんがか)」という芸術家の名称で呼びました。

42歳、「東京二十景」の中の「芝増上寺」の新版画はヒットし、大家(たいか)となります。

白雪(しらゆき)の増上寺の閉(と)じられた朱漆(しゅうるし)の三解脱門(さんげだつもん)※2、身をつつむ黒の和装雨コート、襦袢(じゅばん)と裾回(すそまわし)のわずかな赤に燃える情念を秘めた女人(にょにん)の難儀(なんぎ)、たおやかさを写し取っています。当時の芝界隈の女人、色合い、風情ですが、関東大震災後でもあり難儀さが人々の共感を得ました。


東京二十景 芝増上寺 「港区立郷土歴史館所蔵」

 

修行僧

大正12 年(1923)の震災で露月町の家が焼け、増上寺に避難した巴水は、写生帖を失いましたが、露月町近辺に戻り写生をしています。

大正14 年(1925)、「東京復興百景」に「新橋驛」、「露月町より見たる愛宕山」、「芝浦海岸」、「芝大門」の4枚のスケッチが含まれています。

「新橋驛」、烏森口の駅前にマント、手提げ洋鞄かばん、丸眼鏡の巴水が登場し、駅舎は壊れたが震災に耐(た)えた高架鉄道の8mアーチ煉瓦橋(れんがきょう)上のプラットホームの人物が際立っています。

「露月町より見たる愛宕山」、大正14 年1月に建っているNHK の電波塔がすっきりと、露月町の木造家屋の単純化した屋並(やな)みに洗濯干場などの生活を描いています。

「芝大門」、江戸時代江戸名所といわれ、芝大門に雪を降らせ伝統の芝の美を伝えています。

この頃、全盛期を迎えつつある巴水は、「芝」の復興を伝えています。

昭和27 年(1952)に文部省は、木版画の制作の記録を無形文化財技術として永久に残すために川瀬巴水と伊藤深水、版元の渡邊庄三郎らを招聘(しょうへい)しました。

巴水は、妻と養女が雪の都電停留所にたたずんでいる「増上寺の雪」を創りました。その後、74 歳で生涯を終えました。

絶筆「平泉金色堂」は、雪降る森の金色堂(こんじきどう)に向かう網代笠(あじろかさ)、墨染衣(すみぞめころも)、白脚絆(しろきゃはん)の雲水が描かれ、それが巴水ではといわれています。若旦那は修行僧となり、江戸子の「粋」な情の美を新版画に残しました。


平泉金色堂

 

文:森 明

 虎ノ門でここだけ!とらここ 歴史ある老舗の氷屋「飯倉商会」

神谷町交差点から御成門方面へ30mほどのところに、氷屋純氷「飯倉商会」があります。職人さんが忙しく作業をしている店内にお邪魔しました。

 

約100年続く老舗

3 代目社長の町田和之(まちだかずゆき)さんにお話を伺いました。初代(現社長の祖父)は昭和2 年(1927)、飯倉に氷屋を開店しました。ほどなく、支店を神谷町(現虎ノ門)に出し、再開発により昭和59 年(1984)、現在の地に移転しました。

町田社長は以前の店舗の階上に住み、子どもの頃から2 代目社長(現社長の父)の仕事を見て育ちました。


3代目社長 町田和之さん


カット前の純氷。毎日40本以上が入荷

 

都内の氷屋の数は?

最盛期には都内に2000軒ほどあった氷屋も、昭和35年(1960)頃から徐々に減り、今は100軒程度とのことです。港区には4軒ほどの同業者があり、「今では珍しい業種」となっています。家庭に「電気冷蔵庫」が普及したのも減少の一因のようです。

地域柄、顧客は銀座・赤坂・六本木・西麻布そして地元の虎ノ門の飲食店がほとんどです。

社長こだわりの「純氷(じゅんぴょう)」とはどんな氷でしょう?

都内に数か所ある製氷会社から仕入れている『純氷』とは、水の中にあるミネラル、カルキなどの不純物をRO膜(アールオーまく)でろ過し『仕込み水』にします。この『仕込み水』を100cm×54cm×27cm の大きさの缶に入れて、マイナス10℃の塩水のなかに缶ごと浸(つ)けて凍らせます。48 時間かけて周りからゆっくり凍らせることにより、限りなく透明で無味無臭固く溶けにくい氷ができます。中心の「芯」の残り方によって、氷の良し悪しを見分けるので、仕入れの時は社長自らチェックに入ります。

「氷の目利き」は氷を作る際の中心の「芯」の残り方によって、品質を判断しているわけです。高級飲食店での「水割り」を作るには「純氷」の質の良い氷に限るのは、このような理由からです。

飯倉商会の「目利きが認めた水の心だけが宿る氷」をグラスに入れて味わってみてはいかがでしょうか?


家庭向けに販売している「単ごもり氷」。ロック用、キューブ、スティック、かちわりがパックされている


「純氷」の入った水割り

 

虎ノ門 豆知識

  • RO 膜:ろ過膜の一種。イオンや塩類など水以外の不純物は透過しない性質を持つ膜のこと。孔(あな)の大きさは2nm(ナノメートル)以下(nm とは1mm の100 万分の1)。
  • RO水と天然水の違い:徹底的に不純物を取り除いた水を飲みたければRO水。天然のミネラルを含む水を飲みたければ天然水。
  • 氷の性質:「氷」は匂いが付きやすいので、長時間家庭の冷蔵庫に保存せず、早めに使いきったほうが良い。
  • おまけ:男性は飲食店のトイレを使用した際に、男性用便器の中に氷が入っているのを見たご記憶がおありでしょうか?アンモニアは氷に触れると、冷却され臭いが抑制されるために氷をいれています。

INFORMATION

氷屋純氷 
株式会社 飯倉商会

〒105-0001 港区虎ノ門3-18-16
TEL 03-3431-5338 
FAX 03-3431-5340
https://iceshop-iikura.com/(外部サイトへリンク)

 

取材・文:伊藤 早苗

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