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トップページ > 芝地区総合支所 > 暮らしの情報 > 芝地区の地域情報誌(最新号)

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更新日:2018年10月5日

芝地区の地域情報誌(最新号)

 VOICE芝人 ベトナムとの友好の架橋

日新窟(にっしんくつ)住職 吉水大智(よしみずだいち)師

 

 

今年6月1日、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、明治記念館で開催された「ベトナム・日本外交関係樹立45周年記念式典」において、ベトナム社会主義共和国国家主席チャン・ダイ・クアン氏より日新窟の住職である吉水大智師に友誼(ゆうぎ)勲章(外国人に対する勲章では最高位の勲章)が授与されました。

ベトナムとの縁

吉水師は昭和16年(1941)、日新窟住職斉藤実明師の5男として芝公園で生まれ、僧籍の道へと進みました。

増上寺で浄土宗の僧籍を獲得するために加行しているとき、ベトナムから修学に訪れていた釈心覚師と兄弟のように親しい間柄となりました。釈心覚師が修学を終え、母国に帰る頃には、ベトナム戦争が始まっていました。

是非にとの誘いを受けて、吉水師は23歳の時に初めてベトナムを訪れました。このころはベトナム人さえ危険な状勢だったにもかかわらず、2か月にわたり実情を見て回り、人々を励まし、僧侶たちと交流を重ねて強い絆を結びました。その後、戦況は厳しくなり、訪越※が困難になりました。(※漢字でベトナムは越南と表記)

昭和40年(1965)、父の初代斉藤実明師の逝去に伴い、日新窟の二代目の住職に就任。昭和50年(1975)、ベトナム戦争終結後にようやく再訪越を果たすと、巡回した各地で戦没者の供養、法話を行いました。

平成7年(1995)、膵臓がんを患い、ロサンゼルスで手術。帰国後、旧友の勧めによりベトナムで療養します。ベトナムの暖かい気候と人々との温かなつながりのなかで健康を取り戻していきます。以後、毎年ベトナムの花まつりに出席。また少数民族への慈善活動の支援や各寺院での法話、大学での講義を行うため、隔月で訪越し、全国を巡回しました。

平成13年(2001)、寺の敷地を利用して芝公園タワーを完成させました。その後、その一部に日新窟の本堂を再建します。

大智師70歳の誕生日、ベトナムから平和と友好の絆の印として求道像等が贈られ、完成したばかりの釈迦堂、阿弥陀堂とともに落成法要が営まれました。その翌年、吉水師はハノイ市の平和公園で桜の植樹祭に参加し、500本の桜を提供します。現在までに約1500本の日本の桜がベトナム各地に植えられています。

平成23年(2011)、東日本大震災の5日後には東北地方に住んでいたベトナム人の留学生、研修生ら84人を日新窟に受け入れ、ベトナム大使より感謝状を授与されています。

その後、積極的に日本とベトナムとの交流に努めています。ベトナムからの「よさこいチーム」の受け入れ、日越友好の花まつり、座禅会、茶道教室、書道教室、年中行事などの日本文化学習等を通じ、在日24万人のベトナム人の心の拠り所を創るため、いまなお尽力されています。

ベトナムに同行した師の友人より

今回の受章おめでとう。ベトナム戦争の最中に命をかけて仏教の布教を行い、ベトナム国民の幸せのために努力してきたことが評価されたと思います。この受章は同級生の誇りであり、港区民にとっても名誉なことだと思います。

必ずしも体調は万全でないにも拘らずベトナム訪問を継続する精神力は、増上寺でともに修行した釈心覚師の遺志を継ぐという強い意志から生まれてくるのでしょう。今後も体調と相談しながら、活動を継続して頂きたいと思います。

取材・協力:杉原 俊雄(桜川小学校・愛宕中学校同期生) 

Information

  • 日新窟
  • 芝公園2-11-1
  • TEL 03-5401-0566

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 芝の老舗 世襲九代目女将(おかみ)の繁盛記「玉木屋」

 

新橋・昭和通り交差点に面した「新橋玉木屋本店」。天明2年(1782)創業の佃煮・煮豆の老舗です。初代の田巻七兵衛は、越後南蒲原郡通称玉木村(現・新潟県南蒲原郡田上町)の出身。江戸片側町(現在の新橋一丁目)に店を構え、郷里の名から屋号を「玉木屋」とし、家伝の「座禅豆」を売り出しました。平黒豆を固めに煮た「玉木屋の座禅豆」の深い味わいが江戸町民の間で流行。その後三代目が新橋に近い佃島で漁師の保存食であった小魚を煮た佃煮に出会い、「玉木屋の佃煮」が誕生します。玉木屋は有名店となり、連日店の前に客が長い列を作りました。伝統を守りながら、時代に合った商品を次々と開発し続けている九代目の田巻章子さんにお話を伺いました。

主婦の発想が守る老舗の味 涙の日々

女性は仕事より、結婚して、良い母になることを求められていた昭和40年代。創業家玉木屋に嫁いだ章子さんは、江の島の自宅で専業主婦をしていました。

ある日、先代に呼ばれて店のある新橋に出向くと、「会社に入ってほしい」と言われます。突然のことで返事もできず、時間ばかりが過ぎていきました。湘南電車の最終時刻が迫るなか、思わず「わかりました」。そう返答したものの、迷い続けた章子さんに、専業主婦から九代目への棘の道を歩む覚悟をさせたのは、当時小学6年生だった息子さんの一言でした。

「権利は義務を果たした者が貰えるものでしょう。お母さんはその義務を果たした方がいいよ」

厳しく育ててきた息子さんの言葉に頷き、江の島から新橋への通勤を決意しました。

当時はご主人の従弟が番頭で会社を取り仕切っていました。初出社前、その従弟が自宅まで訪ねてきました。「若奥さん、本当に仕事がしたいのですか? お子さんの面倒はどうするのですか」と問われましたが、「母の私が真剣に考えたことですから、ご心配なさらず」と切り返しました。

たった一人の外商部

とはいえ、出社初日に通勤定期を申請すると「続くのかしらね」と言われます。周りの社員には「仕事は自分で覚えるものです」と突き放されました。会社員としての経験もなく、何から始めればよいのかわかりません。まずは「誰もしたくない仕事から」と、トイレ掃除を始めました。3か月後には庶務をはじめますが、レジロールの入れ替えばかり。新橋から江の島へ帰る電車の中では、涙がぽろぽろこぼれ、止まりませんでした。

それでも気丈にふるまい、1年後には「外商部」を一人で立ち上げます。会社の利益を上げるためというのはもちろんですが、もう一つ「会社にいたくなかったから」というのが大きな理由でした。外商部長となったものの、「会社から飛び込み営業禁止」、「会社関連者の紹介禁止」という条件を突き付けられたなかでの厳しい営業活動のスタートでした。営業に明け暮れていたある日、東京駅で空を見上げると、立派なビルが立ち並んでいました。「市場はこんなにいっぱいあるのに、私には行くところがない」と思うと、再び涙がこぼれました。

人脈作りや営業に役立てました。その努力は次第に周囲に認められ、そしてついに社長就任を果たします。棘の道を歩みながらも忘れなかったのは、“主婦の力”です。

――家計をやりくりすることは、会社の財務経営と同じ。家庭を守るのは人事と同じ。献立を考えることは商品開発と同じ。台所は工場と同じ――。

まずは自分で作ってみることを基本に新商品を次々に開発、ヒットを飛ばしました。冷蔵庫のない時代から保存食として伝わる座禅豆や佃煮は、現代人にとってはしょっぱ過ぎると思い、気づかれないように薄味にしていきました。

すべての商品をまず家庭目線で作ってみる。そしてその味を社員に伝え、工場のラインに乗せて、商品として量産する。主婦ならではの発想で開発した商品は200種以上にもなりました。

そしていま、章子さんからこぼれる「笑顔」から、家庭を守る母の愛と、老舗を守り成長させる革新力を感じました。

Information

  • 新橋玉木屋本店
  • 新橋1-8-5
  • TEL 03-3571-2474

よくある質問

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お問い合わせ

所属課室:芝地区総合支所協働推進課地区政策担当

電話番号:03-3578-3192