トップページ > 区政情報 > 広報・報道 > 広報紙 > 広報みなと > 広報みなと2025年 > 広報みなと2025年5月 > 広報みなと2025年5月1日号 トップページ > 広報みなと2025年5月1日号 1945年5月、港区に大規模な空襲がありました
更新日:2025年5月1日
ここから本文です。
目次
広報みなと
1945年5月、港区に大規模な空襲がありました
戦時中、港区(当時は芝区・麻布区・赤坂区)は何度も空襲を受けています。3月10日の下町を中心とした東京大空襲でも当時の3区は大きな被害を受けましたが、山の手を標的にした5月24日、5月25日から5月26日の山の手大空襲ではさらに徹底した爆撃が行われ、芝区の一部、麻布区・赤坂区の大半が焼け野原となりました。この2回の空襲では、合計約980機のB29によって約6,900トン余りの焼夷(しょうい)弾が投下されました。
山の手空襲80周年 献花
5月25日夜からの空襲は特に被害が大きく、表参道付近でも多くの人が亡くなりました。近くの善光寺東京別院には供養塔があり、毎年5月25日には法要が営まれています。
区は、区政60周年に当たる平成19年に、戦災で亡くなった人々を悼み平和を願う記念碑「和をのぞむ」を表参道交差点前に建立しました。
令和2年以降、5月25日夜からの出来事を忘れないために、山の手空襲を語りつぐ集い実行委員会によって献花が呼び掛けられています。
令和6年度の様子
|
令和7年度も献花を行います
とき
5月25日(日曜)午後1時30分から午後3時30分
ところ
表参道交差点「和をのぞむ」碑前(北青山三丁目6番12号)
共催
山の手空襲を語りつぐ集い実行委員会、港区
山の手空襲の戦争体験を、戦争・戦災体験集(第4集)に掲載しています
戦争体験者 泉さんからのメッセージ
戦争をしてはいけない、これに尽きます。日本は戦後80年も平和な状態が続いている。こんなにも素晴らしいことはありません。戦争放棄を明記した憲法は、これからも守っていかなければならないもの。与えられた憲法だという人もいるけれど、平和を旨とする憲法の価値は、もっと世界中に知らしめるべきものです。また、戦争では必ず孤児が生まれることも忘れないでほしい。僕らの時代においても、上野や有楽町で大変な生活を強いられている孤児たちが、たくさんいたことが目に焼き付いています。今も戦争が続くウクライナやガザ地区などでも、戦災孤児が生まれている。戦争そのものももちろんやめるべきだが、それによって犠牲になる子どもたちのことを、ちゃんと考える責任が大人にはあるはずです。
|
戦争体験者 泉 宏さん(戦争・戦災体験集80ページから89ページに掲載)
昭和5(1930)年、青山北町(現・北青山)生まれ。モダンな父親に育てられ、5人きょうだいとも青南小学校で学ぶ。15歳で山の手大空襲に遭い、父親を失う。自宅も焼失し、母の実家である埼玉の桶川へ疎開し、熊谷中学へ卒業まで通う。青山学院専門学校建築科に進み、建築事務所、大手設計会社を経て、自らの一級建築士事務所を開設。79歳の秋、ビルマ戦線に送られ北部バーモで戦死した長兄を弔うために、慰霊団の一員としてミャンマーを訪ねた。山の手空襲を語りつぐ集い実行委員会共同代表。
問い合わせ
- 総務課人権・男女平等参画係
電話:03-3578-2014
最新の特集を見る