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更新日:2016年1月19日
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武家屋敷・お屋敷跡
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このパネルについて
作成年度:平成26年度
写真左上:平成26年(2014年):毛利庭園
写真中上:平成27年(2015年):鳥居坂上
写真右上:平成27年(2015年):麻布郵便局
写真左中:平成7年(1995年):ニッカ池
写真中央中:平成27年(2015年):鳥居坂下
写真右中:平成27年(2015年):麻布小学校
- 六本木ヒルズ・毛利庭園付近
この地には長門府中藩*毛利家の上屋敷が置かれた。明治20年(1887年)、増島六一郎(中央大学初代校長)の邸宅となる。昭和27年(1952年)にニッカウヰスキー東京工場、昭和52年(1977年)にはテレビ朝日の敷地となった。平成15年(2003年)に六本木ヒルズがオープン、現在の毛利庭園が誕生した。(*現在の山口県下関市一帯) - 鳥居坂付近
六本木5-11,5-12の間に位置する鳥居坂の付近は江戸時代、大名や武家屋敷が並ぶ一方、坂下には町人の町が並ぶような地形的配置となっていた。かつて大名屋敷であった広大な土地が、明治維新後、財閥等に払い下げとなり、三井、三菱、住友の三財閥の関係者、三條邸をはじめとする公家や、李王家、久邇宮家などの宮家、といった華族邸が並んでいた。慶長の初期に鳥居彦右衛門元忠が坂下から見て東側に屋敷を拝領していた。また一説では氷川神社の二の鳥居あるいは三の鳥居があったとも言われる。 - 飯倉片町付近
港区麻布台一丁目、飯倉片町交差点付近には、江戸時代、米沢藩上杉家の中屋敷があった。明治時代より現在の日本郵政グループ飯倉ビル、外務省飯倉公館・外交史料館、麻布小学校の一帯には、紀州徳川家の邸宅があった。邸内に「南葵文庫」「南葵楽堂」が開設され、一般にも公開されていた。ここに設置されていたパイプオルガンは関東大震災後、旧東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に寄贈され、今も同大学、奏楽堂に設置されている。
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