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明治5(1872)年、日本最初の鉄道が新橋-横浜間に開通した時、線路は海岸沿いに敷かれました。写真の品川駅港南口辺りは、まだ遠浅の海で、同年に開業した品川駅からは、江戸幕府が築かせた砲台(第一台場から第六台場)が沖に点々と望めました。
やがて海面の埋め立てが進み、昭和40(1965)年、2つの台場を含めた地域に港南という名が付けられました。「当時の港南は、大きな施設といえば入国管理局、食肉市場、下水処理場しかなく、住民も少ないエリアだったんですよ。駅前も居酒屋や食べ物屋が少々あるだけでした」。親の代から品川駅近くに店を構えている、品川駅港南口町会の谷田睦二会長は当時を振り返ります。
「西口側の高輪は栄えているのに、港南は高いビルでも5階建て、6階建てでした。駅には連絡通路もありませんでしたから、高輪へ行くにはJRの改札を通り、地下道を約150メートル歩かねばならなかったものです。雨が降ると地下道に水が流入して大変でしたよ」
そんな港南地域も1990年代以降は高層ビルや高層住宅の建設が相次ぎ、平成10(1998)年の東西連絡通路の完成、平成15(2003)年の新幹線品川駅開業の効果もあり、今や大規模なオフィス街・住宅街ですが、「港南らしい、仕事帰りの人たちを引きつけるレトロな飲み屋街も残していきたい」と谷田会長はお話しくださいました。
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