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写真は、建設中の首都高速一ノ橋ジャンクションです。この頃は、昭和39年の東京オリンピック開催に向けたインフラ整備が一段落し、さらなる交通量の増化に対応するため、交通網の整備が進められていました。
麻布一帯は江戸時代には湿地帯で、地盤が弱いため工事は難航しました。「まさに突貫工事でしたね」「作業員さんたちがもっこ(縄・竹・つる蔓等を綱状に編んだ運搬用具)で泥を運んでいる姿や、橋桁(はしげた)から降ってくるバーナーの火花を覚えています」とツイン一の橋自治会の早川一夫会長さんは振り返ります。
当時は経済成長が優先されがちで、公害が発生するようになった時代でもありました。「古川では、流れ込んだ下水でメタンガスが発生しました。スモッグもしょっちゅうでしたね。高速が開通すると、当時は路面やタイヤ等の質が悪かったのでしょう、タイヤの粉じんや騒音が大きく窓の防音工事をしなければなりませんでした。渋滞も多く発生して、マンションの4階に住んでいる人が、渋滞中の高速で停車している車の中の人と目が合ってしまったなんて話も聞きました」
それでも次第に環境対策が進み、住みやすい町になっていったそうです。「当時の麻布十番は、地下鉄の駅がまだなかったせいもあって、地元の人が買い物をする、下町っぽい雰囲気の町でした。商店街にはアーケードがあって、すだれ屋さんや染め物屋さんもあったりして。それでもかっぽう着のまま買い物に出る人はあまりいない、下町風な中にも品位のある所でしたね」
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