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新橋という地名の由来となった橋が、国道15号、通称「中央通り」に架かっていたことや、その親柱(橋等の両端に立つ太い柱)が現存することをご存じでしょうか。江戸時代、東海道は日本橋を起点に京橋を通過し、汐留川に架かる新橋を渡って品川を経由するルートでした。当時、新橋の親柱には擬宝珠(ぎぼし)という装飾が付いていて、庶民が使える江戸城外の橋の中でそのような橋は、他に日本橋と京橋だけでした。新橋の橋としての重要性や、格の高さがしのばれます。
「うちは江戸中期から父の代まで、汐留川を使って船で建築資材を運ぶ仕事をしていました」と新橋一丁目東部町会の木村暖子会長。「父が子どもの頃には、大雨が降ると汐留川に金魚やコイが流れてきて、すくって遊んだそうです。この昭和25(1950)年頃撮られた写真に、新橋の親柱が写っていますね。この頃は川に面して多くの商店や住居があって、生活感あふれる水の都だったそうです」
その後、東京オリンピックに備えた道路整備が進む中、汐留川は昭和30年代後半に大部分が埋め立てられ、その上に首都高速道路が架けられました。親柱の1本は今も、中央通りと首都高が交差する新橋1丁目の路上に立っています。「新橋は、お店も歴史的遺産も多いまち。それをアピールして、隣の銀座を訪れる国内外の観光客の皆さんに、こちらまで足を運んでいただきたいですね」とおっしゃっていました。
現存する親柱
昭和25(1950)年頃
平成29(2017)年
※写真の無断転載を禁じます。
新橋一丁目東部町会会長
木村 暖子さん
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