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港区の北西部を南北に走る外苑西通り。西麻布周辺のこの通りは現在、都営バスをはじめ多くの車が行き交い、両側にビルやマンションが立ち並んでいますが、かつては往来する車も少なく、個人商店や民家が軒を連ねる、のどかな道でした。「私が5、6歳だった頃のこの辺りは、空襲で焼けた跡が原っぱになっていました。そこで虫を捕って、うちで飼っている鶏に与えていたものです」と、仲笄町会の清澤靖子さんは振り返ります。
外苑西通りには以前、都電7系統が走っていました。「母にデパートへ連れていってもらう時等に、都電によく乗っていました。また、中学時代は都電を見ながら通学していました。当時、私は、中学校へ向かう道で制服姿の麻布中学・高校の男子生徒さんたちとすれ違うのが、恥ずかしくてたまらない年頃でした。夫との婚約時代には『君の家に行くのは大変だ。7系統は本数が少ないから』なんて言われながら、一緒に乗ったものです」と思い出を振り返ります。
高度経済成長期、東京では車の通行量が増え、都電7系統は昭和44(1969)年に廃止されました。「都電がなくなると聞いた時は、やはり寂しかったですね」と清澤さん。「私は昔、この地で空襲に遭ってとても怖い思いをしました。その後、出産・育児を経験して『戦時中、母は私を抱えて大変だったろうな』としみじみ思い、今でも災害のニュースを聞くと、まず、その地域で育児しているお母さんたちが心配になります。町会でも備蓄や防災訓練に力を入れて、いざというとき『大丈夫?』と声を掛け合えるまちにしたいです」とおっしゃっていました。
昭和37(1962)年
平成29(2017)年
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仲笄町会
清澤 靖子さん
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