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赤坂は、坂の多いまちです。その中でも特に急坂として知られる三分坂は「この坂を上るためには車代が銀三分(現代の百円ほど)かかる」ことから名付けられたといわれています。
「坂を上がろうとする大八車を押してあげたら、よほど有難かったのか、ありがとうと、お駄賃をもらったことがあります。」と、三分坂の下にある咲柳山報土寺(しょうりゅうざんほうどうじ)の住職、朝倉俊さんは言います。
報土寺は慶長19(1614)年に現・赤坂5丁目に創建され、安永9(1780)年に現在の赤坂7丁目に移転してきた、赤坂とゆかりの深いお寺です。三分坂に面した築地塀は、移転当時に築かれ、現在は歴史的建造物として、港区の文化財にも指定されています。昭和34(1959)年に撮影された写真にもこの塀が写っており、勾配が急であることを見ることができます。
「子どもの頃は祖父の言いつけで、この坂の下にある寺の山門前で坂の上の軍事基地に戻る兵隊さんをお迎えしていました。」と朝倉住職。
「他にも三分坂には子ども時代の思い出がたくさんあります。お使いに出かけた母を待っていたのもこの坂下ですし、冬には、スキーやそりで遊びました。戦時中は、写真右手に見える丘の防空壕に、皆で避難したこともあります。その後、丘を削って道が拡幅され、車が往来するようになりましたが、戦後間もない頃、消防車がこの坂を上りきれず、途中で止まってしまっているのを見たことがありますよ。」
「私は毎日、三分坂を駆け上がってから散歩をする習慣でして、おかげさまで健康ですよ」と住職は笑ってお話しくださいました。
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