現在のページ:トップページ > 区政情報 > 各種広報媒体・報道資料 > 広報紙 > 広報みなと > 「広報みなとコラム」バックナンバー > 写真今昔物語 > 写真今昔物語 第17話
ここから本文です。
戦前の港区にアイススケート場があったことをご存じでしょうか。現在の芝浦4丁目16番、旧海岸通りに面して芝浦スケート場がありました。開業は昭和8(1933)年。25メートル×60メートルのリンクに1,500人収容という規模は、当時「東洋一」といわれるものでした。
「昭和8年は札の辻橋が架けられた年でもあります。この橋ができるまでは、三田へ行く時に線路の下の半地下道を利用していて、大潮の時間には靴と靴下を脱ぎ、すねまで海水に漬かって通ったものでした。当時のこの地域はまだ漁師街で、いけすでノリを養殖しており、夕方になると市が立ち、新鮮なシャコ、カニを売っていましたよ」と芝浦三・四丁目町会の坂野喜雄・常任相談役は懐かしみます。「父が北海道の出身なので、その縁で北海道出身の人たちがうちの工場で働いていました。私はスケートはしませんでしたが、彼らは芝浦スケート場でよく滑っていました。やはり上手でしたね」
日本女子フィギュア界の草分けで昭和11(1936)年ガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪においてシングル10位と健闘した稲田悦子選手も、全日本フィギアスケート選手権参加のため芝浦スケート場を利用した一人です。「芝浦は昭和20年5月25日の空襲で焼けて、スケート場も全焼ではありませんが被害を受けたようです。うちも工場もろとも、文字通りかまどの灰まで焼けて…。思い出すと、平和はいい、こんないいことはない、と感じますね」と、坂野さんはしみじみ語ってくださいました。
※写真の無断転載は禁じます。
区では、皆さんからの感想や写真をお待ちしております。
お問い合わせ
所属課室:企画経営部区長室広報係
電話番号:03-3578-2036
ファックス番号:03-3578-2034
外国語対応が必要な人、通訳オペレーター、区の職員の3人で会話ができます。