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現在はレストランやブティックが立ち並び、おしゃれなイメージが強い、白金台のプラチナ通り(外苑西通り)ですが、昭和初期にはこの通りはなく、家屋が密集した住宅街でした。「勤め人さんのお宅、当時は『しもた屋』と呼んでおりましたが、つまり民家がここに立ち並んでいました」と、白金台で生まれ育った芥川恵美さんは言います。第2次世界大戦中には、建物を間引いて空き地にする政策が実施されたとのことで、「空襲の時の延焼を抑えるためで、当時「強制疎開」と呼んでいました。家の中の大黒柱に縄を掛けて、外から何人もの人がひもを引いて家を倒していましたよ」と芥川さん。
その後、昭和39(1964)年に東京オリンピックが開催されることが決まると、それに向けて外苑西通りの整備が着工されました。昭和35(1960)年頃に撮影されたこの写真には、整備されたばかりのプラチナ通りが写っています。「右に、今もある東大医科学研究所が見えますね。道を造ると家が立ち退くので、お友だちがずいぶん引っ越していきました」と芥川さんは振り返ります。
「でもこの一帯は元お屋敷町で、通りから一歩入ると広いお宅がある静かなまちだったんです。その気風が残っているのか、今も住んでいる人皆の仲が良いまちですよ」と、今も白金台が好きな理由を語ってくださいました。
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