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第一京浜は長い歴史を持つ道路です。江戸時代には、江戸と京都を結ぶ交通の大動脈「東海道」の一部であり、その名残が江戸府内への入り口だった「高輪大木戸」跡として今も残っています。明治以降は世界への窓口となった港町・横浜へ通じる道としても重要性が増し、拡張と整備が重ねられてきました。
「この写真は、私の父が撮影したものです」と、高輪共和会の片桐義雄会長は言います。「レンズが違うために遠近感は異なりますが、同じ位置から撮影しています。昭和42(1967)年の写真は、都電が12月10日に廃止されることになったので、その前日に撮ったものです」
「中学生の頃は、よく都電で魚籃坂へ行って、有名な鉄道模型屋さんでコトコト走る模型を半日くらい眺めていましたよ」と片桐さんは懐かしみます。「1960年代は大衆車が続々と発売されて、第一京浜も交通量が増えました。バスも写っているでしょう。銀色の車体から『銀バス』と呼ばれていましたね」
その後、第一京浜沿いには高いビルが建ち並ぶようになり、バブル期にはマンションが増加、地区内の道路整備も進みました。「この地区は商店会がないのでお祭り等は地味ですが、住民同士の仲が良く、緑も保存されていて雰囲気のいい所です。最近は若い住民が増え、子連れでラジオ体操に来てくれるのがうれしいですね」と片桐さんはお話しくださいました。
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