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現在は片側だけでも複数車線あり、通り沿いには高層建築物が立ち並ぶ三田通りですが、昭和40年代までは都電が走り、2階建ての商店が軒を連ねる商店街で、頭上には電線が張りめぐらされていました。「木炭車のバスが走っていたり、パンタグラフが外れて止まった都電を、車掌さんが長い棒で直して運行を再開したりしていた記憶がありますね。交通量が少なかったから、そんなふうに停車しても、まず事故にはなりませんでした」と古橋義弘・港区民生委員児童委員協議会会長は言います。
昭和32(1957)年には東京タワーの建設が始まりました。「私はその頃中学生で、野球の川上哲治選手の大ファンでした」と笑う古橋会長。「高いものと言えば火の見櫓(やぐら)しかなかったまちに東京タワーが造られ始めたので、親にせがんでカメラを買ってもらってこの写真を撮ったのです。でも工事中はあまり変化がないので次第に撮らなくなってしまって、ある日気づいたらタワーが完成していましたよ」と笑いながら当時を振り返ります。
「バブルの時代に、まちの雰囲気がだいぶ変わりました」と古橋会長。「あれ、近所のあの店がなくなった、と思っていると、そこの住人だった人が外車に乗って現れたりしてね」。三田通りは拡幅され、電線の地中化やビルの建築が進みました。高層住宅が建設され新しい住民も増えました。「新しく来た人たちが町会のラジオ体操や花火等に来てくれて、『手持ち花火をやるのは初めて』とか言うのを聞くと嬉しいですね。今後も人と人の交流が絶えない穏やかで楽しいまちであってほしいと思います」
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